BBS 明日に向かって

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管理人訃報の報せ - 旅人

2013/09/13 (Fri) 19:13:46

寺田先生、長い間の闘病生活お疲れ様でした。
浮世に未練がなかったと言えば嘘になりますが
重荷や心配事を置いて新たな旅立ちをなさいました。

先生との楽しかった思い出が思い返されます。
暫らくの間残された方々の胸の内にはそのようなことが繰り返されるでしょう。
主の慰めがありますように。

До свидания
Давайте встретимся снова!

このHPでも教えられた言葉一つ一つを心に刻んでこれからも生きて参ります。

Re: 管理人訃報の報せ - M.Kimiko

2013/09/24 (Tue) 20:38:22

寺田先生、先生の旅立ちを先ほど知りました。
悲しみと不義理をしたことへの後悔でいっぱいです。

先生には大変お世話になり、洗礼も授けていただき、教会の仲間へと迎え入れていただいたのに、
何の挨拶もなく遠く離れた地へと逃げ出して行ったこと、
本当に申し訳ありませんでした。

私にとって、吉川福音教会は本当に居心地のいい教会でした。
あぁ、ここにいていいんだぁと心から思えて、安心できる場所でした。

先生の体調があまり良くないことは子どもたちから聞いていたのですが、会いに行くことも出来ず…
でも、先生にお会いしたかったです。

いろいろと心配をお掛けして本当に申し訳ありませんでした。

先生のご家族、教会の方々に、主の慰めがありますように。

youtubeに2曲アップしました - K.Ueda

2013/07/14 (Sun) 09:42:32

http://www.youtube.com/watch?v=-o8xPMwmAOA
http://www.youtube.com/watch?v=EllBC48jrRg

教会内メンバーで初めて撮影を意識した賛美をさせて頂きました。

「吉川福音教会 youtube」 の検索でもtopに来ます。

宜しくお願いします。

大病 - 寺田祐一牧師

2013/07/12 (Fri) 19:13:53

 体調がはっきりしないまま、ここもすっかりご無沙汰しています。
 今も、特別回復したわけではありませんが、漢方の調合を変えてもらってから、少しいい方向へ向かってはいるようです。この漢方薬は、私の友人が調合してくれているもので、このおかげで何度も窮地を脱してきているものです。大変ありがたいことです。
 病気というのは、特に大病は(私の場合も大病といってもいいものでしょう)、様々な意味で面倒なものです。
 今回、病気をしてみて思うことは、無論、病気治療が第一なのですが、そう簡単にはいかないことです。
 特に大病となると、まずその治療費が馬鹿になりません。元気な時に風邪を引いたりけがをしたりするのとは比べものになりません。以下に保健に加入していようと、三割負担はかなり厳しいものです。私のような場合、月額80100円までは自己負担となります。大病の場合には、簡単にそれ以上になってしまいます。今のところ、なんとか守られていますが、大きな負担であることは間違いありません。おそらくそのために病院へ行けない人も結構いらっしゃるのではないかと、本気で心配してしまいます。私の正直なところ、いつ行けなくなってもおかしくない状況だと、つくづく感じます。
 第二には、これも当然のことですが、仕事に大きな影響があることです。
 治療優先とは言っても、そう簡単に止められる立場にいる人は少ないはずです。いるとすれば、仕事をしていないか、あまり当てにされてされていないか、責任のない立場だったりするでしょうが、しかし、そうした状況で大病をすると、医療費も含め、別な意味でつらい立場に立たざるを得ないでしょう。
 たとえば、日本の牧師の場合、その殆どが30名前後の小さな教会で、だいたいは牧師がなんでも一人でやっていることが多いものです。その場合、少なくと、とにかく毎週巡って来る日曜日、礼拝の準備は待ったなしで、代わりにやれる人は少ないものです。行って見れば、印刷ひとつ難しいことになります。私も、そんな場合を考えて何度も信徒さんにチャレンジして来たものの、なかなか受け継いでくれる人はいませんでした。ですから、そうとう具合が悪いときでも、私が準備することが殆どでした。先生は人に仕事を任せないとよく言われるのですが、それは間違いで、なかなか引き継いでくれる人がいなかったのです。でも、幸い今は手伝ってくださる方も現れ、非常に感謝しています。いずれは全部出来るようになっていただければなーと、願っているところです。
 次に、家族の問題ですが、特にプライベートなことを含めて、場合によってはそうとう深刻な事態になることです。本当にプライベートなことなので、詳しく扱うことはありませんが、私と入院が一緒だったOさんが、いい夫、お父さんではなかったので、身から出たさびとはいえ、難しいものだと嘆いていました。大病は、家族の関係すらあらわにしてしまいます。
 同じように、人間の関係おもそうとう裸にするようです。
 何よりも、大病はいのちにかかわることがほとんどですから、日によって変わる体調に、本人のこころは一喜一憂、そうとう強い人でも翻弄されます。いくら冗談を言ったり表面明るくしていても、こころの中は不安でいっぱいのはずです。人によって違ったとしても、胃潰瘍になったり、鬱になるのは当然でしょう。

 私の場合は、本当に幸いで、よい仲間、よい家族に恵まれ、何よりもイエス様が傍らにいつもいらしゃるので守られています。それでも、上に書いたようなことはやはり体験しますし、容易に理解出来ます。以前には分からなかったことが、大病して初め分かったことも多く、随分と、上から目線ではなく、同情心がわいてきます。
 大病は、ただ治療だけではなく、その人の人生の総決算的なところがあり、なかなか受け入れがたく面倒なものです。

 それから、遅くなりましたが、A姉、お誕生日おめでとうございます。
 早い復帰を祈っていますよ。

やむを得ず 寺田祐一牧師

2013/07/03 (Wed) 16:04:07

 マルベリー 店舗さん
 書き込み、ありがとうございました。
 残念ながらこのBBSの趣旨とは違っていますので、削除いたしました。
 ご理解願います。

削除 - 寺田祐一牧師

2013/06/28 (Fri) 17:49:53

ねこさん

 投稿、ありがとうございます。
 大変申し訳ないのですが、このサイトとは趣旨が違うようなので、削除しました。
 あしからず。

炭酸とポテ・サンド 寺田祐一牧師

2013/06/27 (Thu) 17:21:12

 今日は、昨日と打って変わってさわやかな一日となっています。
 私のように、少し体調を崩している者には、昨日のような肌寒い、冷たい雨の降る天候は苦手で、今日のように穏やかで暖かい日は本当に助かります。
 と言って本質的に体調が回復しているわけではないので、まあ、相変わらず暴飲暴食は出来ないのですが‥‥ 
 ま、いいでしょう。それでも食べられるだけありがたいのです。
 今日は、美味しい食パンを軽く焼いてバターとマスタードを塗り、W姉が作ってくれた丼いっぱいのポテトサラダを挟んでいただきました。そう、挟む前にはレタスをしき、マヨネーズをたっぷりと塗って粒胡椒を散らすのです。これはなかなかいける味で、少々食欲がなくても、その美味しさについ食べてしまいます。
 勿論、サンドウィッチには飲み物がなければいけません。
 一番よいのはがんがんに冷えたコーラがいいのですが、今の体調ではちょっと引いてしまうので、今日はなつみかんスカッシュという炭酸飲料を、氷で冷やしていただきました。コーラほど強くはないので(また、甘くもないので)、暴飲と言ってほどの勢いでごくごくといきましたね!
 と言っても、やっと半分ほどなのですが、ポテトサラダ・サンドウィッチを豪快にほおばりながら炭酸飲料を飲み干す。まあまあの気分です。


  夏の日の  炭酸でがつつく  ポテ・サンド


 なんだか書かなくてもいい、どうでもよいことを書いてしまいました。
 しかし、それにしてもポテトサラダ・サンドウィッチは美味いな。
 もうひとつ作って夜も食べようかな‥‥ 

幼なじみ 寺田祐一牧師

2013/06/20 (Thu) 15:12:34

 この前の日曜日、赤羽聖書教会の野寺恵美先生が、ヘブル書の中から分かりやすい伝道宣教をしてくれました。
 その日、ちょうど初めての方が二人いらっしゃったのです。
 どうやらお母さんと娘さんのようでした。
 勿論、私は見覚えがなかったので、ああ、新しい方がいらっしゃってるな。この頃は、こんな不便な所にある教会へもいらしてくださる方も多くなり感謝だなと,ただ単純に考えていました。
 しかし、「先生、覚えていらっしゃいますか。先生の小中の同級生の方ですよ」と近くの人が教えてくれたのですが、予想もしていなかったので本当に驚きました。と言うよりうろたえました。改めて拝見しても、どうにも思い出せないのです‥‥ 
 向こうは勿論すぐに分かったようですが、様々に子ども時代へ頭を戻らせて考えてみても、私にはどうしても思い浮かびませんでした。なんだか礼拝の間中、そのことで頭がいっぱいでした。
 少し話をする時間が出来、旧姓をお聴きすると、私もよく知っていた人ではありませんか!
 しかし、それでも気づかず、ええ、その名前の人、もう一人いたかな‥‥ 、などと、それでも分からなかったのです。
 礼拝が終わってから少し詳しくお話を伺うと、なんと、私の知っているTさんでした。
 同窓会の消息不明者となっている私を、わざわざネットで探して突然訪ねて来てくださったのです。
 それにしても変わっている‥‥ 
 私には以前の面影は、言われてからも分からなかったほどです(今も)。子ども時代は、少しふっくらとして笑顔の絶えない明るい人との印象でしたが、今はもうすっかりと落ち着いたお母さんでしたね(めがねもかけていなかったのに‥‥ )。

 初め、受付に来られた時には「祐一くんいますか」だったそうです。
 60も半ば、立派な牧師である私を祐一くんよばわりするとは‥‥ 
 その時点で、もう私の負けですね。
 ベールにつつまれた私の猿の時代、いよいよ引き裂かれていくのでしょうか。
 せっかく偉そうな格好をしているのに、なんということだろう‥‥ 

 まさに、神の目に明らかにならないものはない、だな‥‥ 
 今後、私の身に何が起きるのか、これから楽しみだな!

Re: 幼なじみ - ゑち

2013/06/22 (Sat) 23:54:36

『幼なじみ』楽しく拝見しました。

「何とお呼びしようかしら」迷っているうち、口をついて出たのが「裕一くん」でした。『三つ子の魂百までも』とはよく言ったものです。どうぞ悪しからず…です。

43年ぶりの再会ですね。とても嬉しいです。体調に留意して下さいね。

それから、日曜礼拝でご一緒させて頂きました皆さま、ありがとうございました。美しい讃美歌の歌声に心が洗われました。
またお伺いします。

幼なじみっていいですよね。 - めぐみ

2013/06/24 (Mon) 20:56:15

ゑち様
先日は、少しの時間でしたが、本当に楽しいお話をありがとうございました。寺田牧師先生は、小さい時は猿であったとよく言いますが、頭の良さと、かっこよさと優しい性格は変わらないのですね。なんだか、嬉しいですね。また、お越しください。岩手県で起こった話、また聞かせてください。お待ちしております。

同労者 寺田祐一牧師

2013/06/25 (Tue) 16:22:08

ゑちさん

 お訪ね、ありがとうございます。
 戦友と同じように、幼なじみには幼なじみにだけ分かる感覚というのはあるもので、その時の記憶のまま止まっています。そこから抜け出すのは難しいし、抜け出す必要もないでしょう。どうぞ、その時代の感覚で自由にお呼びください。
 キリスト教の歴史では、そういう関係を同労者と言います。
 私にとって、めぐみさんもそうですが、教会の仲間たちは、みんな、今やそうなりました。
 ゑちさんもどうぞ、自由においでください。
 幼なじみから、今度は同労者へと変わるのも楽しみです。
 同労者とは、イエス・キリストを信じる者たちの人生の同行者のことです。
 それぞれ性格も背景も、この世の国籍も生別も違うのですが、同じ目的地、同じイエス様に導かれて歩む者たちのことです。宗教団体の集まりでもなければ趣味のグループでもありません。
 うちの教会は、特に音楽、歌が好きな方々を神様は集めてくださったようです。ですから、みんな楽しく歌っていますね!
 
 ああ‥‥ 、それから‥‥ 
 確信を持って言うのですが、私はこれまで、「頭の良さと、かっこよさと優しい性格」であったことは一度もありません。今もですよ。
 あしからず。



 

- ゑち

2013/06/27 (Thu) 07:03:41


めぐみさんへ

メールを嬉しく拝見しました。
過日はお忙しい時間帯にも関わらずお送り戴きまして、ありがとうございました。お会いできた事を嬉しく思います。
また、お目にかかるのを楽しみにしています。ゑち




『同労者』拝見しました。

とにかく、友の、今がわかり、月並ですが、感無量です。教会を訪れたのも、幼稚園以来のことです。ただ、この時期大変忙しく、学生と共に頑張っています。暫くしましたら、またぜひお伺いしたいと思っています。讃美歌、またお聞きするのを楽しみにしています。

それでは、お体をお大事に。ゑち

暴飲暴食と夏の海 寺田祐一牧師

2013/06/26 (Wed) 16:36:59

 子どものころから意地汚い私は、人が食べているのを見るとうらやましくなり、無理矢理取って食べたり、くれるまでしつこく言ったりしていました。
 しかし、これまた子どもころから胃腸が弱く、しょっちゅう下痢をしたり痛かったりしていたので、残念ながら、意地汚さとは反対に、あまりたくさんの量は食べられなかったのです。
 ただ、それが幸いしたのか、けがの功名とでも言うべきか、食べ物のことで、人前で失敗したことはあまりなかったように思います。
 人目も気にせずガツガツ喰う牧師(うらやましい‥‥ )、悪くはありませんが、下品な感じは否めません。
 ほかの先生ならいざ知らず、私のようにいやしい牧師には、ちょっと致命的なところがあるのです。
 まあ、その点では神様が私をお用いになるために、大食いは出来ないようにお造りになったのでしょうかね。
 でも、お用いくださらなくてもいいから、下品でもいいから、大食いチャンピオンにさえなれるぐらいに胃腸を丈夫にしてくださったらよかったのに‥‥ 
 今は、お腹に溜まった水のため、それに輪をかけて殆ど食べることが出来ません。それでも、無理してでも食べるのが治療なので、そうとう頑張って押し込んでいるのですが、もはや難行苦行でしかありません。せっかく頑張って食べたと思っても、まるで小鳥がえさをついばんでいるようだと評する方もいらっしゃいましたね。
 なるほど、その通りだ‥‥ 
 最後の晩餐ではありませんが、今、私の一番の願いは「暴飲暴食」です。
 暴飲暴食‥‥ 
 それでも牧師かと叱られたり、私も、自分自身情けないなーとつくづく感じる次第です。
 しかし、おそらくそんな無謀な夢は死ぬまで叶うはずはなく、正体は隠されたまま、慎ましい立派な牧師先生であったと語り継がれることでしょう。ましてや本の何冊かも書いていれば、誤解は天国まで持ち去れて行くんだろうなー。天国にはそんな牧師でいっぱいかも知れないな‥‥ 
 天国にはご馳走がいっぱい、勿論胃腸も完璧!
 あれ、Y先生もそうでしたかと、互いにばつの悪い思いをしながらガツガツ食べる。
 え、あれはパウロ先生じゃないかな。
 などと、みんな賑やかに語り合い、天国は何でも本音で生きられることにホッとしているらしい。

 てなことを妄想しながら、今もやっぱり暴飲暴食に思いを馳せている下品な牧師ではあるのです。

 書けませんでしたが、もうひとつの妄想は、夏の海にどっぷりと素潜りをしてみたいと言うことです。
 なぜか。
 いつか書いてみましょう。
 

リハビリ 寺田祐一牧師

2013/06/19 (Wed) 15:11:46

 A姉からお便りがありました。
 現在、週二回のペースで、様々なリハビリ訓練中だだそうです。
 特に今は、ベッドから車いすへの移動ために、よく滑るナイロンシートを使用しても訓練と実験のようです。

 「ベッド上と車椅子のクッションも被せようかと話が出ました。他にも色々試してみようと言う事になりました。レインコートや傘等に使用されていますが、もうひと工夫されているナイロンシートです。とても滑りが良いです。落ちない様にしなくては…。」

 病院へいらっしゃる前には、どうしてやっていいのか、私たちも本当にこころを痛めていたのですが、今通っている病院がよくやってくれているようで、私もうれしいです。一日も早い復帰を祈っていますよ。
 それに比べて私のほうが少しぐずぐずしている感じなので、どれ、負けないように頑張らなければ!

 体や病気のリハビリは大変ですが、実は、そうしたところから来るこころのリハビリのほうがもっと大変です。自分が病気になってみて、初めて具体的に分かります。
 一日の中でも、体調がよいときには「よし、頑張れるぞ!」と思ったり、悪くなると「やっぱりもう駄目なようだ‥‥ 」とくるくる変わります。回りの皆さんに対しても、つい愚痴が出たり、人の批判さえ出たりするものです。私だけかも知れませんが、本当に弱いものです。
 そんな折り、A姉から届くお便りは、まさしく私のこころのリハビリテーションです!

 人は、いつかは死にます。
 しかし、だからといって今とは限りません。それを知っているのは神様だけです。
 ですから病人は、精一杯治療し、癒されることを確信して祈り、こころのリハビリテーションを怠らないことが仕事です。
 通常の仕事はうまく出来ません(教会の仕事も滞っています‥‥ )。回りの方々には大変迷惑なことですが、一生懸命病気と闘う仕事をしています。すいませんが、もう少し待ってください。

マイリカバリー - Grace

2013/06/18 (Tue) 14:55:11

 私は、2年前に、驚く方法で神様からパソコンを頂きました。
 しかし、最近、そのパソコンのキーボードが動かなくなったことに2ヵ月間、(私には、長い)心を痛めていました。『これで、このパソコンとさようならか。それにしても、私の使用していた方法がまずかったにしても、お別れが早すぎる。』など結構、自分勝手に考えていました。
 昨夜,なにげなく、マイリカバリーというパソコンの文字が目に入り、文章に従って、その機能(2時間くらい)を実施したら、直りました.
嬉しいです!
神様からいただいたパソコンは,そう簡単にはさようならにはなりませんでした。私は、パソコンに詳しくないので、ただ、こうやって文章がうてれば嬉しいです。
今日は私にとって奇跡の日となりました。
神様、感謝します。

寺田先生 。
先生の体調が芳しくなく、私は心を痛めています。
しかし、先生の身体も驚く方法で神様から頂いたから、簡単にはさよならはできません。
また、必ず私は「嬉しいです!」といいます。

GODリカバリー - なべじい

2013/06/18 (Tue) 16:53:51

ジーバーズのアリランも 歌詞変えましたぞ。

病に病に犯され
病に泣かされ悩まされ
祈りに招かれ導かれ(→癒されて)
ありがとハナニムありがとう

バージョンアップ! 寺田祐一牧師

2013/06/18 (Tue) 17:39:04

 パソコン、本当によかった!
 そう、勿論修理してくださる神様が私のからだも修理してくださらないことはありません!
 Graceさんの仰る通り、もう間もなく私はリカバリーされていることでしょう。
 きっと、そのついでに神様は私をバージョンアップしてくださり、スピードも容量も大きくしてくださるはずです。楽しみですね!
 これからやらなきゃいけないことは山のようにあるのですから。
 今の私の能力では出来ないことばかりです。
 この病気は、そうした神様の準備の時なのでしょう!
 感謝ですね。
 Graceさん、ありがとうございます。

主にある不屈不当 寺田祐一牧師

2013/06/18 (Tue) 17:43:33

 ふーん、アリランは悲しい歌でもあるのですが、反面、不屈不当の歌でもあるのです。
 この曲に希望と未来を託した人々は大勢いました。
 こんな曲に乗せて癒やしを歌ってもらうなど、恐れ多いことではありますが、大変感謝でありがたいことです。
 来週にはきっと回復していることでしょう!
 ありがとうございます。

風邪を引いた‥‥  寺田祐一牧師

2012/10/26 (Fri) 14:37:26

 先週、風邪を引いた姉妹がいて、どうやらうつされたらしく、日曜日の午後、横浜で行われた朱基徹記念の集いが終わった後、家に帰る途中、発病していまいました。
 まずないな、とは思いましたが、もう後の祭り、熱、からだの痛み、鼻づまり、なんでもありの、いつもの風邪にすっかりやられてしまいました。幸いインフルエンザではなかったようですが、今も動けずにいます。
 風邪を引いて一番困るのは食事です。元々細いうえに、さらに食欲がなくなります。
 勿論、家にも何もないし、買いに出かける難しい‥‥ 
 なんとか頑張って教会へ来て冷蔵庫を開けてみたら、なんと人の顔をした太巻きの海苔巻きが入っているではありませんか!これはしめたと、同じく風邪にやられてぐったりしている渡辺先生と、まさしく餓鬼のごとく貪り食らいました。たぶん私たちのためではなかったと思いますが、入れてくださった方、申し訳ないと同時に、ありがとうございました。おかげで助かりました。
 そういえば、ダビデがサウルに追われて逃げている時、食べるものもなく、ひもじい思いをしていたのですが、ノブの祭司アヒメレクのところへ逃れて、祭壇のパンを食べていたなー。確かサムエル記第一20章?21章だったかな‥‥ 
 明後日の日曜日は、教団の講壇交換で、私はのびどめ教会へ行かなければなりません‥‥ 
 伝道集会と言うことですが‥‥ 
 こんな調子で申し訳ないな-。
 ま、こんなだらしない申し訳ない者が用いられている、そんな恵みが伝わるように、祈りつつお話してみましょう。

お父さん ありがとう 寺田祐一牧師

2012/10/26 (Fri) 16:08:51

 21日の夕方、朱基徹記念の集い「岐路に立って」が無事に終わりました。
 報告も何も、その夜からひどい風邪を引いてしまい、それどころではありませんでした。少し楽になったとはいえ、未だに風邪は消えておらず、ろくに仕事が出来ていません。記念の集いの写真なども、送っていただいたはずなのに、どこへいったやら‥‥ 
 とは言え、記念の集いは盛況で、たくさんの方々においでいただきました。
 渡辺信夫先生の講演は勿論、朱光朝長老奥様のあかしに、一同、深く御霊に満たされました。如何にして朱光朝長老が新生クリスチャンとして生まれ変わり、ついには、日本でお父さん(朱基徹牧師)について話すことが出来るまでになったのか。本当に涙なくしてはお聴きできないものでした。今年も記念の集いを開催することが出来てよかったと、神様に感謝したことです。
 もう一人の渡辺先生、GeeBarsの真理先生が特別賛美してくださったのですが、そのなかの1曲、「父の日、母の日」には皆さん涙し、特に奥様は、歌詞の通訳を聴きながら深く泣いておられました。
 朱光朝さんは、子どものころ、お父さんが殉教する訳ですが、そのおかげで筆舌に尽くしがたい辛酸をなめました。ですから、どうしてもお父さんを赦すことが出来ず、教会からも離れていたのです。それが、奥様と出会い、晩年、日本での証言を通して、信仰者としての、お父さんの偉大さに触れました。それから深い愛に‥‥ 
 「父の日、母の日」の歌詞に「お父さん ありがとう」と言うところがあります。それを聴いた奥様が、朱光朝さんが「お父さん ありがとう」と言うことが出来るようになるには長い時間を要した‥‥ それを思いだしていたのです。
 こんな会があることだけをお知らせして、その結果について報告しないのは失礼なことなので、老骨にむち打って、断片的な記憶をつなぎ合わせて書いてみました。
 また、証言集「岐路に立って」は、すでにことば社から出版されていますので、ぜひお求めください。表紙はあまりよくありませんが、中は本当に大事なことがいっぱいつまっていますよ。

佐伯日菜子 怖い 佐伯日菜子 怖い URL

2013/06/14 (Fri) 09:49:42

加賀さんは結構、楽しんでいらっしゃるように見えます。というか、プロというべきでしょうか。でも化け物はひどい。是非、おおば様が後継ぎを正室の江ちゃんにしつこく望む理由が知りたいです。今川の人らしいですが。築山の事を思ってだったら、ちょっと先生を見直すんですが、ちがうでしょうね。

佐伯日菜子さん‥‥  寺田祐一牧師

2013/06/14 (Fri) 12:26:06

 佐伯日菜子さんですか‥‥ ?
 お訪ね、ありがとうございます。
 ただ、ご主旨が分からないのですが‥‥ 
 浅学な者で、もう少し詳しくお書きいただくと助かります。

つまらないテレビ 寺田祐一牧師

2013/06/13 (Thu) 20:28:32

 最近、頭も使わずただ寝ているばかりなので、さすが個人主義の私もちょっと手持ちぶさたになってしまいます。
 でも、また無理に何か始めると体調を崩してしまうので、家でじっとしているほかはありません。それがもう2ヶ月にもなろうとしているのですから、正直なところ退屈していまいます(私は滅多に退屈はしないのですが‥‥ )。と言って、精神が集中していないので、何か書きたいものがあっても、頭の中でうまく突き詰められず、まとまらないのです。なるほど、人はこうして寝たきりとなり(足腰が非常に弱くなってしまいました)、考えることも面倒になるのでぼけていくのかも知れませんね。
 それは困る、と言うことで、最近は寝ながらテレビを見ています。
 しかしまあ、これがまたつまらない‥‥ 
 テレビは視聴者を馬鹿にしているとしか思えない。
 芸人のトーク番組など論外だけど(どこを回しても驚くほどつまらない話と、同じ顔ばかり‥‥ )、料理番組などでも、色々とオーバーな表現と素っ頓狂な声を出す‥‥ 
 視聴者、今の番組を本当に求めているのだろうか‥‥ 
 そんなことを考えながらぼんやりしていると、いつのまにかつまらなさに寝てしまっている‥‥ 
 ニュースも‥‥ 

 そんな中、ドラマに目を向けて見ると、いくつか面白いものありました。
 だいたいは連続ものなので、見逃したりして前後が続かなくなってはしまうのですが、一回ものとしても見られるようになってはいますね。
 最近では火曜日の夜かな、「鴨、京都へ帰る」でした。
 シリアスなものや重いものは今はいやなので、私にとってはちょうどいい軽さで楽しいものです。

 もう少し回復して、読みたい本も読めるようにならないと‥‥ 
 この頃、トルストイをもう一度読んでみたいのです。

ありがとハナニム~アリラン~(ジーバーズの宣伝です) - なべじい

2013/06/10 (Mon) 16:04:59

二番の歌詞
寺田牧師の癒しを願って
ちょっと変えました。

祈りに招かれ導かれ →  祈りに招かれ癒されて

歌が下手で、すまんのう。かんべんかんべんじゃ。

http://www.youtube.com/watch?v=2Is-CJQKJ-k

気遣い無く - なべじい

2013/06/11 (Tue) 07:22:26

お疲れになるじゃろうから応答は不要です。
お気遣い無く。

悪魔の歌がきこえる 寺田祐一牧師

2013/06/08 (Sat) 17:41:11

 Geeさんの「悪魔の歌」

 むむ、‥‥ 
 こ、恐いな‥‥ 
 どんなささやきをするんだろう‥‥ 

 そんな時、つい私たちは道徳的なことを考えてしまいます。
 姦淫や浪費などはもっとも分かりやすいものでしょう。分かってはても、なかなかあらがいがたいもので、つい誘惑に負けてしまったり、カードは使ってしまうものです。
 しかし、それが次のようなものになると結構難しいものです。
 平和や人道主義などです。
 「あなたたちが軍備などいらないと言うけど、敵が攻めて来たらどうやって国を守るんですか。子どもや孫が殺されるのをただ黙って見てるんですか。国が焦土と化したり、異国人たちに蹂躙されるのを手をこまねいて見てるんですか。それこそ無責任じゃありませんか。敵が核を保有しているなら、当然こっちも備えておくべきでしょう。それが真に平和を維持していく道であり、家族を守る方法でしょう」
 鋭い目つきで淡々と語る‥‥ 
 さらに「いつまで時代に合わない古い憲法など、後生大事に守ればいいんでしょう。第一、日本は悪くなかったのに、戦争敗れて、悪者のレッテルを貼られて、無理矢理占領軍に押しつけられたものじゃありませんか。そんな屈辱的なもの、いつまでありがたがっているんですか。そろそろもう、自分たちで考えた自主憲法を持ちましょうよ。」
 「アンシャン・レジーム(なんとフランス語!)、もう日本は立派な先進国、独立国じゃありませんか。戦後の占領体制から脱却し美しい日本を取り戻しましょう!」
 経済復興をちらつかせながら甲高い声で叫ぶ‥‥ 
 「やれ従軍慰安婦問題だ、侵略だと、どこにそんな証拠があるんですか。もう屈辱的な自虐史観は止めましょう。日本は神国で、靖国は国の英霊が戻り、集まるところです。それを否定するなど、日本の歴史と、それを守るために戦った戦士たちになんと失礼なことでしょう。中国や韓国などの口出す問題ではありません。」
 いやはや、つい「そうだ、そうだ!」と叫びたくなりそうです。

 こんな悪魔の声に、経済恐慌を背景に耳を傾けてしまったのがヒトラーです。
 日本は、誰が傾けたの分かりませんが、気がついたら草がなびくように傾いていっていましたね(そういえば、日本では国民は草だった。民草‥‥ )。新聞はそれに拍車をかけるだけで、誰も止める者はいなかったようです。今度はどうなるのかな‥‥ 
 トルコのデモは面白い‥‥ 
 不謹慎かも知れませんが、オリンピック招致を目前にしながら、死者までだして、未だに戦っています。トルコは、かなり以前から、イスラム圏には珍しく、民主主義と復興を求めて「政教分離」の大原則を厳しく守って来たのです。
 しかし、現政権がイスラム法を制定しようとするなど、かなり強気で後退させようとしたのです。いわば改憲、靖国法案などのごり押しです。なかなかすごいことです。
 今の日本の弱点のひとつはオリンピック招致です。
 もし、東京で機動隊も出動するような激しいデモが起これば‥‥ 
 これなら私にも出来そうだな‥‥ 
 悪魔の声はどっちだろう?

悪魔の歌(ジーバーズの宣伝じゃ) - なべじい

2013/06/05 (Wed) 21:26:41

悪魔の歌を作ったのじゃ。

悪魔が近づいてくるぞ。(怖いな)
そして甘くささやくぞ。(やばいな)
...
そんな雰囲気の讃美歌じゃ。


では、どうしたらいいか。

イェス様、どうぞ御言葉を与えてください。
あなたの勝利を与えてください、と祈るのじゃ。


そういうわけで、歌の終わりは少し明るい調子になるのう。

では、悪魔の誘惑の歌、ごゆるりとお楽しみくだされ。
http://www.youtube.com/watch?v=aegsfRBjANs

ふふふ - なべじい

2013/06/06 (Thu) 08:10:42

悪魔を見たという人は、そう多くはないけれど、
罪を犯したことのない人は、まず、おらず、
したがって誘惑を受けたことがない人は、一人もいない。
つまり多くの場合、悪魔は姿を消し、気配を消しているということかしら。
悪魔は、そっと近づいてきて、
悪魔のささやきだと気づかれないように甘くささやく。ふふふ

柿くふも‥‥  寺田祐一牧師

2013/06/03 (Mon) 17:10:53

 A姉からお便りが届きました。
 まだ回復せず、リハビリを続けているのですが、また新たな床ずれも出来て、今はちょっと車いすにも乗れない様子です。早くよくなって教会へ来られればいいのになーと、日々祈っていますので、時間はかかっても必ず来られると思います。ますます祈りましょう。
 私の方は、未だ一進一退で、はっりきしません。
 お腹の水がどうしても引かないのでお腹が突っ張ってしまい、普段の生活に大きな影響があります。まあ、要するに立ったり座ったりが難しいので、殆どの時間横になっています。そのため、足腰、腕が極端に弱くなってしまい、何をするにも一苦労です(トイレも)。
 でも、今日はありがたいことに比較的いいようです。
 ただ、このままきちんと水が引かないと(肝機能が回復しないと)、次のガン治療に進めません。病気と言うのはやっかいですね。

 そんな中、何をするでもなくぼんやりと横になっていると、どういうわけか正岡子規のことが頭に浮かんで仕方がありません。特にファンと言うわけでもなく研究者でもないので、どうしてだろうと、いぶかしく感じます。
 誰でも知っているように、子規は、甘ったるい感傷主義の歌を徹底的に否定し、芭蕉の句の中にその神髄を感じ、芭蕉に大きな影響を与えた西行を見出し、西行に心酔していた実朝を現代に生き返らせた人です(当時を考えると、それだけでもすごい!)。そして、そんな自らの主張を写生、写実と称して新基軸を生み出していったのです。勿論、当時怒濤のように流れ込んで来ていた、西ヨーロッパの自然主義に影響されたことは言うまでもありません。リアリズムは啓蒙主義の根幹です。
 そんな中、私が気になっている子規の歌は、有名な「柿食えば‥‥ 」ではなく、次の歌です。

  柿くふも 今年ばかりと 思ひけり

 私の作る歌とよく似ています(おこがましいのですが)。作品としては今一のようにも思うのですが‥‥ 
 

 1902年に亡くなっていますから、日清戦争は体験していますが、1905年の日露戦争、その後の日韓併合は知りませんでした。世界情勢が思いっきり日本にも流れ込んで、夢から覚めた人のように上から下へと右往左往していました(従軍記者として一時大陸に渡りますが、現地の現実に触れてだいぶ見方は変わったようです)。そんな急激な時代変化の中で動けなくなった子規(結核だった)、あれほど好奇心の強かった男にとって、寝床に縛り付けられ、身近な風景しか眺められなかった状況は受け入れがたいものだったでしょう。
 このままでは終われない‥‥ 
 上の歌は、そんな思いが逆説的歌われていると思えてならないのです。
 
 子規の客観的な批評など私の任ではありませんが、どこかに共通した思いがあることをただ感じるのです。
 このままでは終われない‥‥ 

 幸い、私はリアリズムではなくイエス様と一緒なので、その息苦しさは天と地ほども違うでしょう。
 でも、子規の思いは伝わって来ます。

ジーバーズの「思っている」という讃美歌の宣伝です - なべじい

2013/05/25 (Sat) 21:24:29

あの恐ろしい津波は悪夢ではなかった。
加えて政府によって、うやむやにされた原発放射能事故。
今も不安と危険の中に置き去りにされている福島の人々。
チェリノブイリのような健康被害がこの後起こってくるのか。。。。
そして底の抜けた福島第一原発は、どうなるのか。。。

そんな大惨事を前に、はたして讃美歌を作ることが出来るのか。わしの思いは乱れるのじゃ。

「思っている」という言葉は、原爆詩人峠三吉が「仮包帯所にて」という詩の中で用いている言葉じゃ。夜の仮包帯所、そこに横たわっている焼けてむごたらしい格好にさせられた女学生、彼女の思っていることは何か。。。その日の朝まで暮らしていた自分の家や家族の事に違いない。三吉は、その詩の最後に「思っている思っている」と二度書き記した。その言葉を借用したのじゃ。

津波で亡くなった家族や故郷、そして見た目は変わらないけど放射能によって恐ろしい場所と化してしまった(美しい)自分たちの住んでいる町、村、川、海、空気。。。そこにおいて人々は何を思うのだろう。そこでは悲しい思いしか思うことができないのか。。。

何一つ希望というものの見えない、もしそういう場所があったとしても、ひとつだけ希望を思うことができる。わしはそう信じて、それを讃美歌にしてみたのじゃ。

では、どうぞお聞きくだされ。
http://www.youtube.com/watch?v=hYRkddOPTM4

「思っている」こと 寺田祐一牧師

2013/05/28 (Tue) 14:22:57

 ありがとうございます。
 讃美歌になっているのかどうかは分からないけど、切ない、こころに沁みる歌ですね。
 
 大きな災害のあと、焦土と化した戦場‥‥ 横たわる死体、崩れ果てた家‥‥ 
 古来、この風景からは数多くの歌が生まれました。「くにやぶれてさんがあり」は、中でももっとも有名なもののひとつでしょう。
 しかし‥‥ 
 フクシマにはもう山河はありません‥‥ 
 いえ、緑も川もけなげに回復しようとしています。しかし、それはもう以前の緑でも水でもありません。
 少なくとも人はもう近づくことは出来ないのです。二度と戻って来ないでしょう。
 広島長崎以来、災害は変わってしまったのです。
 「松風さわぐ丘の上  古城よ独り何偲ぶ」という三橋美智也の歌がありました。誰が作ったのかさえ私は知りませんが、古城が忍び「思っている」ことは、今日「思っている」こととは遙かに違ったものでしょう。

 幾たびもの災害や戦いに多くの歌は生まれました。そして文学も‥‥ 
 しかし、その悲しみは消えなかったようです。
 経済という巨大な化け物は、そんなことはお構いなしに世界を、いえ、私を食い尽くして行きます。
 「思っている」などの非現実的ものは、現実の?政治の中、単なる感傷として今後も顧みられることはないでしょう。
 しかし、川も緑も腐り果てた中だからこそ輝くのです。
 阿部さんもアメリカもいつかは消えますが、「思っている」ことは消えません。
 面白いことです。

 この世を、今も保っていてくださるのはイエス様です。
 私の「思っている」ことはそのことです。
 忘れないようにしなければ‥‥ 

ジーバーズの「しずく」という賛美歌の宣伝です - なべじい

2013/05/24 (Fri) 20:04:42

しずくという讃美歌じゃ。

しずかに しずかに しずめ しずくに という語呂合わせ。

海の底のような、
蛇口から、ぽとりと落ちる静けさのような、
そんなイメージかのう。
http://www.youtube.com/watch?v=gs1IflXUDGM

養生しよう! 寺田祐一牧師

2013/05/21 (Tue) 15:33:32

 A姉からメールが届きました。
 退院後、お元気なようですが、傷口がまだふさがらなかったり、回復にはまだま時間がかかりそうです。
 腕の筋肉が落ちてしまって、車いすの操作も大変なようです。そのため、出来るだけ近所を散歩しているようです。郵便局でT姉に会ったのですが、そのため、どうやらちょっと素っ気ない様子に見えたかも知れないと心配していました。T姉、そんなことはなくて、会えてうれしかったようですよ。
 車の運転もまだ難しいようで、早く教会へ戻りたいとの思いでやきもきしています。
 勿論、無理は禁物で、少し時間がかかっても仕方がないので、確実に養生することにしましょう。
 私の場合も同じで、今は多くの方々にご迷惑をおかけしているので、つい焦って無理をしてしまい、反対に回復を遅らせ、あるいは取り返しのつかないことになってしまいます。あきらめずにじっくりと養生することも本当に大事ですね。むしろ、無理して前に進むよりも、そこに踏みとどまり、それこそNever GiveUPの信仰で待ち望むことが大事だと、これまでの経験を深く踏まえてのA姉のメールでした。
 A姉、互いに神様を信頼してじっくりと回復していきましょう。多少時間はかかってもね。

 A姉は、勿論、私の病気のことは知っていますので、自分のことをおいても私のことを心配していてくださいます。いつも祈っていてくださるのです。ありがたいですね。
 でも、私はいわゆる団塊の世代で(この言い方は堺屋太一が使ったもので、私は好きではありません。何に寄らず、レッテルはその存在を狭いところに押し込めてしまいます。しかし、この議論はいずれまた)、いつも競争世界の中にいたことは確かです。これは、よい面もあるでしょうが、反面、狡猾でせせこましい人間も作りました。私もまたその例に漏れないのですが、もう一つ、休むことへのいわれのない罪悪感があるのです。とにかく無駄にでも動いていれば安心するという‥‥ 
 勿論、これは悪いことばかりではなく、それで出来たこともたくさんあります。
 しかし、「過ぎたるは及ばざるがごとし」でしょう。
 反面、私はドロップアウトすることに非常な興味をもいだいていました。
 社会貢献や成果主義といった、社会の中でしか、人と比べることでしか成立しない世界にそうとう強い不快感を覚えていたのです。と言って、コーリン・ウィルソンや西行のように(ましてや山頭火は‥‥ )、そこから離れて暮らす勇気もなく、ただのポーズで終わっていました(今でも‥‥ )。諧謔といったことばの影に隠れて‥‥ 
 でも、幸いなことに、私はイエス様とお会いすることが出来ました!

 ああ、ダメですね。またとりとめのないことになってしまいました。
 A姉、私も早く回復するように祈りつつ養生しますので、A姉も焦らずに着実に頑張ってください。
 私も教会の皆さんも、みんな祈って待っていますよ!


 

Never GiveUp 寺田祐一牧師

2013/05/20 (Mon) 18:46:23

 A姉、退院後、どうしてますか。
 元気にしていますか。
 私はどうも一進一退で、今は動けないでいます。
 それでも、A姉に思い出させてもらったNever GiveUpで頑張っているところですよ。
 また連絡してくださいね。
 勿論、A姉の席は空けてあります!

無題 寺田祐一牧師

2013/05/18 (Sat) 19:11:03

 体調は一進一退で、まだはっきりしません。
 ただ、きちんと休ませていただいていますので、回復の方向へは向かっている気がします。
 宣教区長である野寺くんがサポートしてくれて、水曜祈祷会は毎週、日曜日礼拝説教者の手配など、すべてやってくれています。実にありがたいことです。それに加え、多くの皆さんに祈られていることに驚いています。この祈りに守られていることは間違いがありません!
 私は、子どものころから人に好かれたり人気があったことはありませんでしたので、半信半疑ではあるのですが、うれしいし、クリスチャンっていいなーって思っています。
 人気がなかったのは、むしろ、回りのせいではなく私自身の自己中心性によることでしたが、基本的には、ほとんど仲間外れでした。おかげで一人で過ごすことに不自由はなく、孤独な思索を楽しむことが出来るのです(と言うより妄想だなー)。
 そんな私の性向が牧会の特徴にもよく現れ、たくさんの失敗をして来たと思います。
 「思います」、というのは、未だにその弊害に気づいておらず、どんな不快な思いを、信徒さんをはじめ回りの方々がなさっているのか、分かっていないのです。要するに鈍感でトンチンカンなのです。
 まあ、言われなくても牧師失格なのですが、そんな者のために一生懸命お祈りいただくのは本当に驚きだし感謝に絶えないところです。
 家内に言わせると「あなたは人のこころが分かっていない。そんなことで教会がうまく行くはずがないし、問題ばかり起こるのは当たり前だよ。今あなたがなんとかやれているのは、吉川の信徒さんがいいからだ。悔い改めて信徒さんに感謝しないと」といつも言われています。うーむ、返すことばもありません‥‥ 
 ただ‥‥ 、そういう家内も‥‥ 
 とにかくこんな欠けだらけの夫婦、個人としてお救いいただいたばかりか、なんと牧師の働きまで守っていてくださるとは!
 きちんと回復してお返ししなければ‥‥ 

 明日は、北赤羽キリスト教会の増田真喜子ちゃんが(失礼、先生です)礼拝説教をしてくれます。

 写真は、木曜日にうちの教会で行われた関東宣教区南埼玉地区合同婦人会での一コマです。
 

久々に‥‥  寺田祐一牧師

2013/05/13 (Mon) 23:07:37

 カタツムリさんの疑問にもお答え出来ないまま、随分と長く空けてしまいました。
 今日も、カタツムリさんの疑問に答える体力は到底ありませんが、とりあえず生きていることだけはお知らせしておきましょう。体調のほうは、残念ながらかなり悪く、現在は、教会の働きは一切出来ない状態です。とは言っても、週報など、印刷物はほとんど私一人でやっていたので(不思議なことに、こればかりは誰もやってくれる人がいなかったのです)、なんとかお願いはしているのですが、まだ私がかかわらないと出来ない部分がありますので、土曜日の午後は出向いています。
 ああ、早く解放されて精一杯やりたい!

 カタツムリさんの疑問には(これで二度目ですよね)、もう少し元気になってからきちんとお答えすることにしても、その中の一つのことに関して書いてみましょう。
 それは、普通の仕事では受けないであろうバッシングを受けることがあることです。
 幸い、私はそうではありませんでしたが、日本の先生方は教会に住んでいる方々が多くいらっしゃいます。
 その場合、牧師家庭の生活は丸見えとなって、信徒さんたちからかなりつらいことを言われたりします(信徒さんは意識がないでしょう)。特に子どもが何かを言われるのはそうとう堪えるようです。勿論、奥さんは義務でもないのに、それでも牧師夫人かと、様々なことが要求されます(勤めているのは牧師です)。これに疲れて鬱になる牧師夫人は多いようです。この辺で、その教会で牧会して行くのは難しくなっていきます。
 要するに、日本では牧師だけではなく、牧師家族がその批判の対象になってしまう点です。これはきついものだと思います。
 中でも、牧師が信徒さんの批難、あるいは罵倒されているところを(理由がなんであれ、結構あるのです)、家族が、特に子どもが見るところです。まあ、いかに召されているとはいえ、この辺でこころがぐらついたり、家族のために牧会を止める先生が多いと聞きました(特に若い牧師)。
 まだまだ普通の仕事の場合とは違った、特殊な事情はありますが、日常生活、家族ごと見られているのはちょっとつらいかも知れません。勿論、カタツムリさんのご指摘のとおり、どんな仕事、人生にも難しさはつきもので、その点ではおなじでしょうか。
 その他には、貧しさとかなんとか言うより(貧しいのは最初から覚悟していると思います)、たぶん、日本での牧師の位置、牧師職理解にあるかも知れません。
 それについてはいずれまた。
 たぶん‥‥ 

母の日じゃ。この歌はいかがかの(ジーバーズの宣伝)  - なべじい

2013/05/14 (Tue) 10:36:22

歌を聴いて、早く良くなってくだされ。

  父の日母の日

おかあさん ありがとう とうといいのちを
... おとうさん ありがとう おおきなあいを
わたしを 父と母の 子供にしたのは かみさまです

おかあさん いうこと きかずにごめんね
おとうさん なまいき ばっかりでした
それでも 父と母の 子供にしたのは かみさまです

おかあさん がみがみ 小言がうるさい
おとうさん すこしは わかってほしい
それでも 父と母の 子供にしたのは かみさまです

おかあさん どんなに 心配かけたろう
おとうさん たくさん しかられました
わたしを 父と母の 子供にしたのは かみさまです

おかあさん ありがとう もう一度いいます
おとうさん ありがとう 言葉にできない
わたしを 父と母の 子供にしたのは かみさまです
http://www.youtube.com/watch?v=2HiHDu7X0LI

ジーバーズニューズ(宣伝の続きじゃ。すまんのう) - なべじい

2013/05/14 (Tue) 10:42:44

GeeBars News  ジーバーズ・ニューズ 2013年5月号

さわやかな初夏となりました。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
ジーバーズの祈りの課題を、今月も上げさせて頂きました。 祈って頂ければ幸いです。

まずは報告です。

4月は関東地方巡業をしてまいりました。
26(金)東京の柿島牧師とお会いし旧交を温めました。
26(金)百万人の福音の取材を受けました。たぶん7月号に載ると思います。この宣伝が用いられて仕事が沢山来るようにお祈り下さい。
... 27(土)埼玉県の吉川福音教会の召天者記念礼拝にて讃美し、
28(日)神奈川県の子母口キリスト教会の礼拝とミニコンサート、
29(月)千葉県のインターハートチャペルで2時間のライブをしました。
5月1日(水)くたくたに疲れながらも、無事、石川県に帰ってきましたが、風邪をひきました。

城山信一氏と共同で作曲していた新曲「思っている」が、このたびほぼ完成しました。この歌は東北の災害を歌っており、関東巡業で初演しました。次のような歌詞です。メロディはyoutubeでお聞き頂けます。http://www.youtube.com/watch?v=t__FAHke-oY


      思っている             作詞渡辺真理  作曲城山信一渡辺真理

       1  波が来た 波が 黒い波が
          道を越え 波が 怖い波が
          村も町も 人も家も
          幼い子供も 年寄りも

           わたしひとりが ここに残され 思っている
          青く輝く 海を見つめて 思っている 思っている

       2  霧が来た 霧が 見えない霧
          死の谷の霧が 怖い霧が
          山も里も 川も海も
          草木も 田畑も 食べ物も

            わたしひとりが ここに残され 思っている
           青く広がる 空を見上げて 思っている 思っている

             ひとりひとりが ここに残され
            遠く輝く 天を見つめて
             やがて再び その日こられる イエスキリスト 
            思っている 思っている 思っている

今後も、新しい意欲を持って、演奏活動、賛美歌作り、レコーディングに取り組めるよう、お祈り頂ければ幸いに存じます。

インターネットでGeeBarsを検索していただくと、ジーバーズのブログをご覧いただけます。そこからリンクして、youtubeの動画、Myspaceの音源などを見たり聴いたり出来ます。

疑問に思うこと - カタツムリ

2013/04/28 (Sun) 23:37:02

本日のメッセージで・・・「牧師は報われない」と錯覚すると・・・。
以前にも感じましたが、「牧師」とは・・・その人が決意した職業ではなく、神様から無理に招命を受け、引き受けたものなのでしょうか。
人気や評価で報われない・・・経済的に報われない・・・日本では成功率が低い・・・信徒が期待通りではない・・・
色々あると思いますが、世間の仕事も楽で簡単なものはないと感じる今日、どうなれば報われた事になるのでしょうか。

それにしても・・・ギデオン協会のお爺さまが「戦争に負けたお蔭で私は救われた!・・・神様は上手い事をなさる!」
・・・ユニークで楽しい証でした!

報われない困難なお働きだと思いますが、先生のお身体が回復されて、お元気に復帰できますように!!

ありがとの - なべじい

2013/05/02 (Thu) 11:07:57

わしも週報の説教要旨を読んだのじゃが、カタツムリさんのおかげで、少し、どんなことが話されたのか、その一部が分かったような気がしたのじゃ。ありがとの。

「報われないというけど、どうなれば報われたことになるのか」というのがカタツムリさんの第一の疑問じゃな。
第二の疑問は、「牧師の仕事だけじゃなくて、ほかの仕事だって、けっこう大変じゃないか」ということじゃな。

わしの経験と寺田牧師の経験、また八木牧師の経験は、たぶん違うと思うので、はっきりとしたことは、わからんのじゃが、そして、それ故に、わしが口を挟むようなことじゃないとも思うのじゃが、しかしなにかの参考になるかもしれんと思うので書いてみるぞ。

おそらく、牧師になろうとする者は、自分にはこの仕事は荷が重すぎる、自分には向いてない、そう思うのではないか。自分のような者が、聖なる重大な仕事を引き受けてよいはずがない、と。そのことに携わる資格など自分には到底ないと感じるのが当然ではなかろうか。

こういうことは、カタツムリさんも含めて全ての信者が自分に当てはめて考えてみる必要があると思うのじゃ。福音書のお召しの言葉は全ての信者に語られているのだから。その上で、尻込みしつつも、それでも引き受けざるを得ないという人が伝道者になる(あるいはさせられる)のだろうと思う。たぶん。(もしかしたら寺田牧師の経験とは違っているかもしれんが)

たぶん八木牧師の話は「報いは神様が与えてくださる」という話ではなかったかな?だから「報いがないと(思って)気落ちする、それは錯覚だ」と言われたのではないかな?「錯覚」ではなくて「誤り」と言いたかったのかもしれぬ。もちろん報いがないと感じることも多いし、その事の察しはつくし、同情もできる。しかしそれでも、はっきり言わねばならぬ、それは間違っていると。そんな話じゃなかったかな?とわしは想像するのじゃ。

福音書に「よくやった忠実なしもべだ。あなたは小さなものに忠実だったから大きなものを任せよう」とあり、「この世で褒められる人は既に報いを受け取っているから天国で神様からの報いを受け取れない」との言葉もある。使徒行伝には「御名のために辱められるに値する者と認められたことを喜んだ」とある。この場合の報いは鞭で打たれたこと、恥ずかしめを受けた事。昔のクリスチャンはそれを誇らしく喜んだのじゃ。(イエス様に少しでも近づけたという喜びかのう。)こういうのは自分とは随分かけ離れた事に感じるかもしれぬ。わしも正直言ってそうじゃ。でもそう感じる自分の感覚は間違っていると八木牧師は言われたのではなかったかな?もらうお金が少ないとか、この世の名誉も得たいとか、ときとして牧師ですら思ってしまう。八木牧師の説教は、そのことに対する自戒と警告じゃなかったかと、わしは想像するのじゃ。

たしかに世の中にも大変な仕事がいくつもあると思う。自分だって大変なんだと言いたい気持ちは誰にでもある。例えるなら負け戦の兵士。パワハラを受けている部下。倒産した事業主、そのほか多くの仕事が気が狂うほど大変な仕事だろうと想像する。しかしそういうストレスとはまた別の種類の重い責任を負っている牧師という仕事。カタツムリさんも、ためしに自分が牧師になってみることを真面目に考えて見られたらいかがかな。少し分かったような気になれるかもしれませぬ。

こんなに沢山書いたことがないので、頭が疲れてしもうた。歳かのう。

NASAは、日本の開国100周年記念日に設立 - ねこ

2013/04/25 (Thu) 01:49:54

NASAは、日本の開国100周年記念日に設立

http://park.geocities.jp/j_con4/0204/p045.html#page296
http://book.geocities.jp/conspiracycalendar/02/d/07/0729.html

つまり、日本の宇宙開発局だった。
日本は、ここでも得意の「後だしじゃんけん」で、
徐々に主導権を取って、表に出てゆく。
(仮説を含む)

( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0103/p034.html )

無題 - 寺田祐一牧師

2013/04/25 (Thu) 10:04:19

 ねこさん

 お久しぶりです。
 大変興味深いお話しですが、やはり、私のような浅学非才な牧師には少し難しいようです。
 それに、今、私は体調を崩していて(ここを乗り越えられないとちょっと‥‥ )、残念ながら深く考えてみる力がありません。このBBSも‥‥ 

 ねこさんがどのようなお方か存じませんが、よかったら背景などを教えて下さいませんか。
 おたずね、ありがとうございました。

拍手 - なべじい

2013/04/19 (Fri) 10:52:19

語呂合わせも上手に、こんなに面白いパロディの歌をよくも作れたものじゃと感心しましたぞ。yteさんに拍手じゃ。

W姉不在‥‥  寺田祐一牧師

2013/04/20 (Sat) 17:59:59

 ふん、食い物に対する執念の賜物じゃのー。
 何も考えなくても、次々に浮かんでくるのじゃ。

 しかし残念なのは、言うほどには喰えんことじゃ。
 ちょっと喰うとすぐに腹一杯となってしまう‥‥ 

 今度の月曜日は、うちの教会で朱基徹委員会があるのですが、残念ながら、食事担当のW姉がいらっしゃいません。お姉さんが危篤で、京都へ行ってしまいました。
 W姉のこともさることながら、朱基徹委員会の食事準備をどうするか‥‥ 
 頭を痛めているところです。
 私が元気なら何かを作ったり(和洋中、私は何でも作れるのです!)、お弁当でも買いに行けるのですが、このところ、どうも体調が優れず、それもちょっと難しい状況です。動きたくないと言うより、動けない‥‥ 
 どうしようかな‥‥ 
 祈っているところです。
 カップヌードルでも持参してもらって、みんなにお湯を注いでもらおうかな‥‥ 
 今度の朱基徹委員会は、4時「福音主義論争」野寺恵美師、7時半「信仰のみ」登家勝也師なので、大変重要な抗議になります。止める訳にもいかないし、みんな楽しみにしていると言うのに、飯なしと言うわけにもいかない‥‥
 しかし、これまでにも何とかなったように、きっとなんとかなるでしょう!


 腹すかし  まちにしのぞむ  名講義 

 だ、だと思います‥‥ 

おめでとう! 寺田祐一牧師

2013/04/18 (Thu) 16:07:35

 A姉、退院おめでとうございます!
 よかった、よかった、本当によかった‥‥ 
 なんだか私もよくなりそうだね。ありがとう。

 勿論、また逆戻りすることのないように、ゆっくりと、しっかりと回復してくださいね。教会も私もなくならないし、逃げませんよ。みんなで祈っていますよ。会うのが楽しみです。

 今日は、昨日にもまして暖かい、そして晴れやかな一日です。
 ここちよい風に誘われて、先日花見に行った、教会とはつい目と鼻先の沼辺公園へ散歩に行って見ました。
 すっかり葉っぱだけになった桜も、その葉を青々と繁らせて、深い影を作りながらそよいでいました。
 花見客はすでになく、美味しそうなお弁当のにおいもありません。
 でも、ピクニックには最適な気もするので、今度、おいなりさんを作ってもらって来てみようかな。
 そうだな‥‥ 、ついでにコンロも持っていって焼き肉、BBQでもやるか‥‥ 

 私は、基本的にはロマンティックなタイプなのですが‥‥ 、どうもそれ以上に食い意地が張っているらしい‥‥
 西行がどうのこうのいいながら、「ねがはくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」もなにもあったものではありません。

 願わくは 花の下にて  われ喰わん  その杵つき餅のあんころ

 しかし、西行は別に世をはかなんだ人ではありません。
 それどころか、無明を見据えながらも、その先にある何かを深く感じ、好奇心を失わず、まるで子どものように、十分にこの世を楽しんだ人です。
 最終的にどんな人だったのか。
 私なりに考えてみると、タイプは違えど、「自分の日を正しく数えることを教えてください」と考えるに至ったモーセのようであった感じます。この世を諦めるのでもなくはかなむのでもなく、精一杯、自分の日、いのちの尽きる日を常に思いつつ、楽しみ歌った人だったと。モーセと同じように、世を去る時においてさえ「目もかすまず、気力も衰えていなかった」のだと。
 気力も衰えない、信仰者のもっとも根底にあるものです。   

暖かい! 寺田祐一牧師

2013/04/16 (Tue) 13:08:53

 暖かいとは言っても、私には少し肌寒いところもあったこれまでのお天気でしたが、今日はもう本当に暖かく、とても気持ちのよい一日となっています。
 こんな日に中にいるのはもったいない‥‥ 
 ちょうど、これから出かける用事があるので、外へ出るのが楽しみです。
 病院へは、一日おきに出かけてはいるのですが、今日や病院ではありません。完全なプライベートでもなく、外に出る楽しみを加えるならば、公私半々と言ったところでしょうか。ただ、守秘義務のある公があるので、行き先など、あまり詳しいことは書けません。とは言っても、そんな大げさなことではありませんがね。
 そうですね‥‥ 、帰りは6時ごろになるでしょうか。
 車で出かけますので、窓を開けて、春の風を十分に楽しむことにしましょう!
 で、今日の書き込みは、帰って来てから、と言うことになります。

 あ、ではこれから出かけます。
 皆さんもよい一日を!

今日は気持ちがよかった! 寺田祐一牧師

2013/04/16 (Tue) 19:03:27

 予定通り、先ほど戻って来ました。
 予想したように、とても気持ちのよいドライブでしたね。
 ただ、今日は「教育」について少し書こうと思ってはいたのですが、少し疲れましたので、次の機会にしましょう。
 と言っても、私は別に教育の専門家でもありませんので、そんなに深く難しいことが書けるわけではありません。単純にふたつのことに注目し、自分の経験、考えに合わせて書いて見るだけです。
 第一のことは、言うまでもなく聖書における教育です。
 特にエペソ人への手紙、6章4節の「父たちよ‥‥ 」から始まるパウロの呼びかけに注目してのものです。
 一口に教育と言っても、時代や地域によっても違うし、第一、教育という単語の上に何がつくかによってその議論はまったく違ってしまいます。音楽教育、家庭教育、学校教育、恐ろしい軍国教育、果ては泥棒教育に至まで、実に千差万別です。まあ、そのひとつひとつに当たる力は無論ありませんが、ちょっと子育てを中心に、おそらく教育とつく限り、必ず共通しているものがあると考えて、それを探ってみようと言うものです。
 もうひとつは、これはもう正面切って「民主主義教育」についてです。
 カントの「啓蒙とは何か」以来、その流れを汲む教育者たちが何人も出るのですが‥‥ 
 いわゆる近代教育についてですね。
 うーむ、書いているうちにさえもう難しくなった‥‥ 
 ま、出来るところまで、ゆっくりと、勝手な意見を書いて見ることにしましょう。

祈りつつ歩む 寺田祐一牧師

2013/04/13 (Sat) 14:23:22

 明日の礼拝を前に、心理的にはストレスを感じつつも(だいたいの準備は出来ていても、直前まで不安で、いつも逃げ出してしまいたくなる‥‥ )、今日はとてもよい天気で暖かく、気持ちがいいです。体調もまあまあで、久しぶりです。
 で、今日はあまり面倒なことを書く気はしないので、何か適当なことを書いてお茶を濁してみましょうか。
 実は、そうですね、昨日までも自分の体調に不安があり(お腹の張りが取れず、何をするにも苦しかった)、そうではないとは思いつつも、ずいぶんと悲観的に考え、状況を受け止めていました。少なくとも、積極的で前向きな考えや姿勢は出来なかったようです。私は牧師で、夢、あるいは希望を売る仕事なのに(勿論それだけではありませんが)、話がうまくまとまらないばかりか、知らぬまに愚痴のようにもなってしまい、終わってからいつも嫌悪感に捕らわれていました。これじゃーなーと‥‥ 
 いいわけをするわけではありませんが、体調と考え方は密接に関係しているものだと、痛切に感じざるを得ませんでした。ここを抜け出すには、病気に打ち勝って体調を回復する以外にない。出来る!と言う信仰に固く立たなければと、これまたずっと祈り続けて来たものでもあります。しかし、それなのに足下をさらわれるようなことがあると、元気な時と比べてもその落ち込み、がっかりさは比較になりません。つい弱音を吐いてしまったり、だらしない姿をさらけ出してしまったりするわけです。自分でもみっともないと思いつつも、気がつくとそうなっています。
 そんな時、そのみっともない姿や言動を見ても、励ましてくださったり支えてくださたりするのは(つまずいているはずなのですが‥‥ )、本当にありがたいことで、立ち上がる勇気となります。そうした信徒さんたちに囲まれているのは(信徒さんだけではありませんが)、牧師として、本当に暖かい神様の恵みの中にいるのだ、と言うことを実感します。
 明日の説教がうまくいかなかったとして、それは病気のせいでも、ましてや信徒さんのせいでもなく、すべて私の弱さ、だらしなさの結果です。改めて信仰に堅く立ち、祈りつつ歩まなければなりませんね。
 
 明日の説教題は「おりにかなった助け」です。

 聖書のカ所は、ヘブル人への手紙4章14節~16節

 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

 このカ所の中心は、なんと言っても「偉大な大祭司である神の子イエスが」、「罪は犯されませんでしたが」、「私たちと同じように、試みに会われ」、「私たちの弱さに同情」してくださると言うところです。中でも重要なのは「私たちの弱さ」と「同情」でしょう。
 まず、「私たちの弱さ」とはなんでしょうか。
 ここではアスセネイアと言うギリシヤ語が使われ、精神的弱さ(優柔不断、気の弱さ、軟弱)、肉体的病気一般(負傷、障害、症候群、感染)を指しています。個人的以外にも、社会的弊害、病にも使われるようです。
 要するに、私たち人間がこの地上で被るあらゆる弱さ、弱点と言うことが出来ます。
 そして「同情」とはどういう状態を表すのでしょうか。
 スムパセオーと言うギリシヤ語で、英語のsympathyに当たる言葉です。「情、思いやり、あわれみ、同感、共鳴、賛成」などに使われます。すでに日本語化した英語で、主に思想信条、つらい立場からの訴えなどへの共感などの意味に使われているようです。
 なるほど、「大祭司である神の子イエス」が、精神的にも肉体的にも、この地上にあるすべての苦しみと悲惨さを身に負われたので(イザヤ書53章)、そのアスセネイア、苦しみを誰よりも深く知っておられ、どんな人の痛みにも共感、スムパセオー、同情することが出来る、いや、伴にすることが出来ると言うものです。シンパシーには、共感だけではなく、それを通して相手もこころの中に入る込むと言う意味でもあります。人が、下手にそんなことをすると、「共依存」となったり共倒れになったりします。また、相手が受け入れない場合(心が閉じている場合)、それこそストーカーとなったり、逆恨みする場合も多く、結構、要注意でもあるのです‥‥ 

 続きは明日の礼拝で。
 イエス様は、私の弱さにも同情なさってくださるお方なのですね!
 勇気がわいて来ます。
         




病気で小さな田舎牧師 - カタツムリ

2013/04/12 (Fri) 01:47:41

こんばんは!

病気・・・みんな、何かしら病気になるんだから、悪いことじゃない。

小さな田舎牧師・・・吉川は確かに都会じゃない。じゃあ、都会の教会だと、「大きな都会牧師」として立派なイメージになるのかな~?

小さな田舎教会で、病気になりながらも、ず~っと我慢してくださって「ありがとうございます!」
背中見てますよ!!

小さな田舎教会が好きです!
カタツムリはどこに居ても「カタツムリ」です!

その通りです! 寺田祐一牧師

2013/04/12 (Fri) 14:39:58

 ああ、カタツムリさん
 大変な時なのに、ありがとうございます。
 励まされます。

 なるほど‥‥ 
 人と比べたりしない、人の目は気にしないと偉そうなことを言いながら、私も結構気にしているんですね。
 「都会の大きな教会」、今はもうそんなことはないのに‥‥ 、はじめたころはずいぶんと対抗意識があったことは確かで、なにくそ!と思ってやっていましたね。でも、まだどこかに負けたくない思いはあるのでしょう。ここ、吉川で大きな教会を作りたい思いはまったく変わっていませんからね。
 私にとって、今やこの吉川で出会った方々、教会がすべてで、仲間たちはみんな大好きです(教会の兄弟姉妹たちです)。そのために、ちょっと近くなりすぎてトラブルが起こることもあるくらいです。
 病気のこともその通りなのですが、本人にしてみると、つい暗くなりがちだし、仕事もてきぱきとは出来ません。きっと、病気の牧師なんていやだろうな‥‥ と、ついマイナーに考えてしまうのです。一生懸命祈って助けてくださる皆さんには本当に失礼なはなしですよね。悔い改めなければなりません。何が背中を見せるだ。
 家内からも、あなたみたいな牧師を、ちゃんと受け入れて尊敬さえしてくださる信徒さんに感謝しなさいよ!、と厳しく言われています。本当にその通りです。

 もうここまで来たのですから、もう一度頑固一徹(私は人の言うことを聴かないとのことなので)、(よい)背中を見せ続けて行くことにしましょう。
 私の吉川での願いは、皆さんと仲良く過ごしていくことは勿論ですが、どうしても大きな教会が作りたいのです。キリストの愛を示す簡単なことでも、教会にそれを担うだけの力がなければなりません。「五千人ビジョン」に書かれてあるとおりです。
 ぜひ一緒に戦って行きましょう!

Re: ひとことお詫びを - カタツムリ

2013/04/12 (Fri) 18:34:07

少し前から気付いた事ですが、「カタツムリ」を別の方と思い違いをされていらっしゃるので・・・私は現在それほど大変な状況ではありませんので、悪しからず。

田舎の大きな教会を目指して、カタツムリもボチボチと!

大きな教会目指して 寺田祐一牧師

2013/04/13 (Sat) 12:53:40

 へー、そうですか‥‥ 
 誰と間違っているんだろう‥‥ 
 でもいいや、大きな教会目指してよろしくお願いします!

背中‥‥  寺田祐一牧師

2013/04/11 (Thu) 20:36:22

 私は、子育てのために生きているのではないし、うまく出来たなどとは夢にも思ったことはありません。
 こんなとんでもない親の元に生まれながら、子どもが勝手に育ってくれた、と言うのが本当のところで、ありがたいことだと感謝はしています。
 万が一犯罪者にでもなっていたら、そうとう激しいバッシングを受けていただろうと思います。牧師の息子でもあったのですから。犯罪は犯さないまでも、あれじゃ永来舎くん(息子)もかわいそうだ、だからあんな風になるんだと言われたことはありました。まあ、そう言われても仕方がなかったでしょうか。
 ただ、私が子育て、と言うより、永来舎が神学校で生まれた時から、はっきりと考えていたことはありました。
 子育てに正解などないのですから、どう育てるかはその親の考え方次第による(病気をほっといたり、食事を与えなかったりは犯罪でしょう)。だかた、自分は自分なりに考えることがゆるされているはずだと。
 その第一は、私は子育てのために生きているのではないこと。私は私の人生を生きるために生きていることでした。
 子どもが命で、自分のことを犠牲にしてでも立派に育て上げることが使命だと感じる人が、そうすることには何も反対する理由はありません。子どもが喜ぶかどうかは別にして、そうしたいのだから、そうすればいいと思います。要するに、子育ては子どものためではなく、親のためになされるものでしょう(戦場や飢饉などの特殊な環境では別でしょうが)。とにかく私は、勿論、現実的な意味では拘束されるとしても、子どもはいてもいなくても自分のやりたいことをやる、と考えていることです。
 親が子どものために生きる(そうせざるを得ない状況はあるでしょう)。では、その子もまた自分の子どものために生きるのでしょうか。それが人間の歴史という見方もあるでしょうが、人は、子どもを生みこそすれ、それを育てるために存在するとは考えないということです。特にその考えは牧師にしていただいてから、よりはっきりしたと思っています。
 しかしそれは、育児放棄、子育て放棄を言っているのではありません。それなりにはやって来たつもりですし、でなければ息子は生きていなかったでしょう。ただ単純なことですが、子育てのために生きていないということです。

 もうひとつのことは、これも私にとってですが、子育てとは、よくも悪くも、私の背中を見せ続けることだ、と言うことです。
 「永来舎、お父さんを見ないで。お父さんは駄目だけど、永来舎は立派に生きてね」とは決して言いません。
 そんなことを言っても無駄です。蛙のは蛙、息子もまた自分の子どもにそう言うだけのことです。
 子どもは、親が正面を向いて話している時ではなく、背中を見せているところほどよく見ているものです。
 とは言っても、私の場合、ろくな背中をしているわけではないので、偉そうに、入れ墨を見せるわけでもないのに、「俺の背中を見ろ!」とは到底言えるものではありません。事実、病気で小さな田舎牧師のおじいちゃんに過ぎないのですから、本当は見せたくないほどです。
 では何を見せるのか。
 これも非常に単純なことですが、間違ってる間違っていないにかかわらず、向けた背中は変えない、決して後ろを振り向かない、ということだけです。よかったかどうかは、死んでみなければ分からないことですから。
 決して変えない背中、もしかしたら、これが子育ての背中かなー、などとひとり考えているところです。

 ところで、では私はどこに向かって背中を見せているのでしょうか。
 これもまた偉そうで書きたくはないのですが、色々とご批判、質問もありましたので、恥ずかしながら書いてみます。
 イエス様の十字架です。
 だから振り返らずにすんでいるのでしょう。
 少なくと、この意固地な背中を息子が見ていてくれたら、それで私は何も言うことはありません。
 たぶん、息子はそれを見ていると思います。でなければこんなろくでもない親、とっくに見捨てていなくなっているでしょう。まだいると言うことは、私の背中を通して神様を恐れているからなのでしょうね。

 このように、私の子育て観は実に乱暴なもので、およそ参考にはならないものでしょうが、ご質問に応じて書いてみたままです。あしからず。
 また、もう書いてしまいましたので、私の子育て観について、現実の問題にそくして、時々書いてみましょうか。

 
 


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