吉川福音教会(BBS)
雑感‥‥
- 寺田祐一牧師
2009/07/04 (Sat) 08:51:07
日本の政治を巡って、今、実に姦しい雑音が、毎日毎日、これでもかこれでもかとテレビから流れて来ます(もはやニュース番組だけでもないようです)。ちっとも面白くないし面倒臭いので、もうほとんど見ません。いつも私が見るニュース番組は、時間帯から言って夜10時からのものになるのですが、いかにも軽薄で無責任な解説です。いくら言葉商売と言っても、賢そうな言葉を立て板に水でよいわけではありません。
こんな時、それらに触れないでいることにも本当に忍耐がいるのですが、あえて触れないようにしています。どうも同じ穴の狢になってしまいそうだからです。いかにも緊急そうな報道の仕方に、ついつい煽られてしまいますが、長い過去の、当然の積み重ねの結果であって、今さら驚くにあたらないのです(今の社会が酷いのは当たり前)。ただひとつ言えることは、今、日本を代表するような方々の程度が知れたと言うことでしょうか(おばさんの中には期待できる人もいそうなのですが‥‥ )。じゃ、お前は出来るのかと言われれば、「まあ、あの程度なら」とは言えそうです(そのまんま東さんもそう思ったのかも知れませんね)。
ただひとつ、マスコミの無責任ぶりは腹が立ちます。
この前の菅谷さん冤罪事件、少し当時の報道をあたって見たのですが、さんざん犯人扱いして、社会的にも葬り去ったのはむしろマスコミです。発表された事実ではなく、読者受けのする天誅報道で、自分たちの立場に完全に酔っぱらった報道です。ぞっとしました。
どうしたらあんなに正義ずらを振り回せるのでしょう‥‥
一転して今度は、裁判所、検察、警察への、これまた正義を振りかざして糾弾する無節操さには舌を巻くばかりです(「ずさんな捜査」、「人権無視」よく言います)。とってつけたような、マスコミ報道の誤りへの釈明がまた白々しく、嫌悪感すら感じてしまいます。
マスコミ各社の政治報道にも、そうした体質はまったく変わらずに貫かれていて、正義の番人ぶりには、ただただ感服する以外にはありません(食いついたら離さない政治資金問題の追求の仕方は立派?)。マスコミ関係者の方々はよほど清い生き方をなさっているのでしょう。
こんな時、普通人(あえて良識人)はもう黙っているしかありません。
一度、戦時中の朝日新聞報道などをご覧になるとよいと思います。「非国民」の言葉が踊っていて、決めつけて攻撃する恐ろしい体質は今もそのまま続いているのがよく分かるはずです。嫌なことです‥‥
泣く子とマスコミには勝てない、といったところです。
しかし、戦前を見ても分かるとおり、そのままで済ますわけにも行きません。さて、どうしたものか‥‥
ひとりひとりの選択が問われる時が近い気がします。
今朝はもう土曜日、本当に早い‥‥
今日明日の天候も分からないようですが、今朝はまた夏を思わせるさわやかな天候となりました。リトルワールドの野菜たちも喜んでいるようです!
さて、明日の準備をしなければ‥‥
マルコの福音書1章1節〜8節、「福音のはじめ」と題して準備しています。
ぜひおいでください。朝10時からですよ!
今日は、以前、東江さんの書き込みにあったエジプト、ナイルについて書こうと思っていたのですが、つい興奮してその紙数が尽きてしまいました。また月曜日にでも書きましょうか。覚えていればですが。
「エジプトはナイルの賜物」、さて、日本は、いいえ、この世界は何によって‥‥
チャペル・コンサートのお知らせ
- 寺田祐一牧師
2009/07/04 (Sat) 09:24:27
お知らせのところに「チャペル・コンサート」のチラシを掲載しておきました。
お近くの方、ぜひ参加してみませんか!
結構気軽で楽しいコンサートで、案外多くの方々が参加してくださいますよ。
コロッケか、ミートソースか - 寺田祐一牧師
2009/07/03 (Fri) 08:43:00
今朝は、曇りながらも雨は上がり、涼しい、過ごしやすい気候となっています。
でも、空模様はいつ降り出してもおかしくない状況のようです。だからといって、別に様々なスケジュールをどうこうと言うことはないのですが、今日は区域がありますので、出来れば晴れて欲しいという私側の希望はあります。車いすでいらっしゃる方がいますので、雨が降るとどうしても大変になるからです。ただ、この方、その大変さをもろともせずに、一度も休むことなく出席なさいます。
教会も車いす用には出来ていませんので(会堂を新しくする時は必ず車いすでも自由に活動出来るようにします)、行動は制限され、思うような奉仕は難しいのですが、教会は、集まりがあると必ずそこにいるという働きは実に尊いものです。様々なプログラムへの出席は、何をしなくても、日本の教会のように人数が少ない場合、実に大切な神様への奉仕であると思います。特にリーダーである牧師にとって、それで働きを左右することはないにしても、人が集まる集まらないではずいぶん違います(私だけでしょうか)。
お掃除や食事の準備、礼拝における諸奉仕(奏楽に司会、受付や案内、週報やスケジュール表作成)、教会学校や諸集会のリーダー、準備、そして片付けなどなど‥‥ 、すべては聖徒の皆さんの奉仕によるのですが、これもまた出席する人がいてくれるからであり、教会は人の集まるところですから、集会への参加は、それと同じほど重要な奉仕であると、いつも考えています。ですから、天候であれ教会外の諸行事であれ、妨げになりませんようにと、少なくとも私はいつも祈っています。
18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです
教会とは、とにかく人が集まるのが目的です。
集まって何をするのではなく、まずイエス・キリストを信じる者たちが集まるところなのです。そして、まず集まったところにイエス様もいらっしゃると言うのです。
礼拝をするために集まるのではなく、伝道するために集まるのでもありません。
とにかく集まるのですが、するとそこにイエス様がご臨在くださり、集まった人々はイエス様にお会いするのです。そこで信仰者たちの礼拝が始まり、伝えたい思いが溢れて来るのです。当たり前ですが、自然にそれを行っていくための働き人が現れ、かたちが出来て行くのです。そしてキリストの身体が誕生して行くのでしょう。
教会へは、何か目的をもって集まるのではなく、行けばそこで何かが起こり、きっと目的も与えられるのです(それはきっと集まる人や地域、時代によって違うはずです)。
私たちは、忙しい現代、様々なスケジュールに追われています(以前クロノスの話をしました)。教会へ集まることも、その忙しいスケジュールの中でこなすべき一つになりがちです。教会は何かがあるから行くのでも、何もないから行かないのでもありません(教会に行っても何もないと言うことはありません)。ただ目的もなく集まるところなのです。「集まる」、そのことが目的だからです。
そして、まず集まるところから、何かが始まって行くのです!
今日の区域、とにかく集まる私たちに、神様はいったいどんな目的をご用意してくださっているのでしょうか。すごく楽しみです!
コロッケか、ミートソースか、はたまた‥‥ 、うーん、楽しみです。
え、違う?そっちじゃない?
いいえ、イエス様もどこかをお訪ねなる時、きっとそのことを楽しみにしておられたと思います。「大食らい」などと言われるほど、もてなされたものを美味しそうにたくさんお食べになったようです!
イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」(ヨハネの福音書21:12)
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、(使徒の働き2:46)
誤解を恐れずに言えば、クリスチャンたちが集まる第一の目的は、まず一緒に食事をすることだったのです。イエス様の行動だけではなく、聖書の至る所にその記録は出て来ます。聖餐式は、教会第一の大切なプログラムですが、原点はそこにあることもまた、聖書は明らかにしていますが、面白いことです。
神様ご自身が、食べることに非常に関心がおありになるようです。きっと、いのちの原点なのでしょう。
Re: コロッケか、ミートソースか - 東江公人
2009/07/03 (Fri) 18:04:46
家内と出かける用事があり、帰りがお昼でしたので途中の店で昼食をとりました。
一軒は、静岡の桜エビの料理の店
もう一つはラーメン屋さん
(どちらも庶民派の店で高級ではない)
家内はラーメンは食べたくはないといい
僕の方は桜エビは、何度も食べたので変わったものが欲しいと意見が対立しました。
もめてもしかたがないのであっさり「じゃあ、別々に店に入ろう」と言うことで決着をつけました。
ラーメン屋さんには色々なメニューがある中、ランチ定食のメンチカツ定食を注文。 六九〇円也
メンチカツが二つとキャベツのきざんだもの、ご飯、味噌汁、漬け物、ポテトサラダがついていました。
かなりのボリュームでしたが、この量は沖縄で経験済み。難なく平らげました。
量といい味といい沖縄に匹敵するものでした。沖縄だともう少し値段が安いかもしれません。
あとで家内にラーメン以外のメニューもあったと伝えると「そっちにすれば良かった」と悔やんでいました。
家内は保守派ですね…
不思議な‥‥ - 寺田祐一牧師
2009/07/03 (Fri) 22:17:22
そうですか。奥様と‥‥
よかったですね!
私だったらやっぱり桜エビご飯かな。
うちならもう絶対に家内の行く方に決めざるを得ないのですが、さすがは東江さん、お互いに自立した立派なご夫婦なのですね。
でも、これだと「Re: コロッケか、ミートソースか」ではなく、「ラーメンか桜エビ」ですよね‥‥
しかも食べたのはメンチカツ‥‥
ラーメンでもない‥‥
「私もそっちにすればよかった」という奥様の言葉も何となく解せない‥‥
うーん、不思議な文章です。
しかし、確かにメンチカツは添え物を含めて美味しそうですね。特にポテトサラダがいい!
一度食べに行ってみましょう。
Re: コロッケか、ミートソースか
- 東江公人
2009/07/04 (Sat) 08:12:18
説明不足だったようです。
家内はラーメンは食べたくなかったようなのです。
ラーメン屋さんにはラーメン類しかないと思っていたので桜エビを選んだようなのです。
家内も桜エビのほうは少し飽きていたのかもしれません。でもラーメンは食べたくないと言うことで桜エビを選んだ。
後でラーメン屋さんにもご飯類があると聞いてそちらで食べれば選択肢が広がると思ったようです。
Re: コロッケか、ミートソースか
- 寺田祐一牧師
2009/07/04 (Sat) 08:49:22
ご丁寧なお答え、恐れ入ります。
人生に迷いと失敗はつきものなのですね。
ありがとうございます。
「とどまり」続ける - 寺田祐一牧師
2009/07/02 (Thu) 10:04:56
降り続く雨、と言うのがぴったりな表現のように、今朝もちょっと鬱陶しい雨から始まっています。西日本側では雨の被害も大変なようですが(台風も含め、毎年こころが痛みます)、やがてこちらの方へもやって来るのでしょうか。
薄暗く、湿度の高いお天気は(寒くはないのですが)、体調にも大きく影響し、気力を低下させます。きっと、憂鬱な思いをなさっている方もいらっしゃるでしょうね。
そんな中、今朝も早天礼拝にいらしてくださる方々には本当に頭が下がり、感謝な思いでいっぱいです。勿論、一人でも祈るし、それはそれで恵みなのですが(滅多にないのですが、たまにどなたもいらっしゃらない時には、一人様々なことに思いを巡らしたり、神様のみこころを深く考えます)、やはりどなたかがいらっしゃるとホッとしますし、一緒にみことばを学ぶのは楽しいひとときです。この天候であまり体調もよさそうではありませんが、牧師としては大変ありがたいことです。
さすがにリトルワールドもうんざりしているのか、このところ生長は止まっています。しかし、花は咲き、小さな実はしっかりとついています。実を結ばない枝は取り除かれ、火にくべられてなるものかと、どうやら必死で頑張っているようです。
小野道風ではありませんが、柳に飛びつくかえるの絵を思い出します。いずれ、必ず飛びつける時が来ると‥‥
15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
15:2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
ヨハネの福音書にある、イエス様の有名な葡萄の木のたとえです。
「とどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます」とあるのですが、雨の日もあり風の日もある‥‥ 、「とどまり」続けるのは案外難しいことです。つい木を離れてしまって、自分だけで結ぼうとしがちです。愚かな私にもその気持ちは実によく分かるのですが、残念ながら枝だけでは実を結ぶことは出来ない、と言うのが本当の体験です。
リトルワールドの小さな実は、「とどまり」続ける、そんな決意を秘めているようです。
Re: 「とどまり」続ける - 東江公人
2009/07/03 (Fri) 07:22:10
葡萄。いいですね。
この実が熟したら聖餐式の葡萄として飲めないかな?
量が、少なすぎるかな?
混ぜるといいかもしれませんね。
エジプト展 - 東江公人
2009/07/02 (Thu) 22:51:16
『パシフィコ横浜で開催中の「海のエジプト展〜海底からよみ
がえる、古代都市アレクサンドリアの至宝〜」で7月1日、「Alexandrian
Legend
〜ファラオに誓う愛〜」と題した挙式セレモニーが行われた。
』
アレクサンドリアか…
神学校の時にイスラエル旅行に参加したときにエジプトではア
レクサンドリヤかルクソールかのオプショナルツアーがありま
した。
僕はルクソールを選びましたが…
アレクサンドリアは、70人訳聖書の翻訳された地であり
あのクレオパトラの活躍した地でもあり
色々魅力のある地だったんですね。
エジプトは聖書では『この世』を代表されている地
イスラエルが、エジプトを懐かしんで砂漠で嘆いた地
確かにある意味、魅力のある地ですが、永遠ではない過ぎ去っ
てしまう地。
またエジプトは逃れの地としても描かれています。
飢饉になったときにアブラハムはエジプトに難を避けて逃れま
した。
ヤコブの時代もヨセフの神から与えられた知恵によってエジプ
トは穀物を蓄えていました。それでヤコブはエジプトの穀物で
飢餓を乗り越えました。エジプトが世界の飢饉を救済するため
に用いられたのです。
イエス様もヘロデの迫害を逃れるためにエジプトに下りました
。
約束の地カナンそしてこの世を代表するエジプトその間には苦
難を象徴するする砂漠が広がっています。
エジプトを懐かしむわけではありませんが、エジプトの不思議
な魅力を考えさせられます。
目をさまして - 寺田祐一牧師
2009/07/01 (Wed) 08:30:52
今日は午前中に区域があり、夜には水曜祈祷会があります。
そんなにきちんと準備しているわけではありませんが(適当という意味ではなく、あまり固くならないようにしています)、それでもそれなりのエネルギーは要しますので、この時期(梅雨)は少し大変です。
夜は新約聖書の書簡集を読んでいて、パウロがしばらく続きましたので、今はペテロの手紙を読んでいます。先週Tが終わり、今日はUの1章を読みます。章全体を読んでお話ししますので、ひとつひとつ聖句にあたることはしませんが、その手紙の書かれた意味と目的を主に探りながら、そこから外れないように筋を追って行くように心がけています。
先週読んだ5章には次のような箇所がありました。
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
励ましとも戒めともとれる箇所ですが、当時のクリスチャンたちの戦い、苦悩の姿がうかがえて興味深いものです。おそらく信仰を守ると言う点においては、今とは比較にならないほど難しい時代であったと思いますが、ペテロ自身の戦いでもあったのでしょう。
「身を慎み、目をさましていなさい」は、今朝読んだマルコの福音書13章で、世の終わり、大迫害時代における、信仰者のあり方に対する大事なテーマでもありました。十字架を目前にし、緊迫した雰囲気の中で語られた主イエス様のおことばには相当厳しいものがあったのでしょう、ペテロはこの時のお話しを誰よりもよく伝えています(マルコの福音書は、弟子のマルコがペテロから聞いたことをまとめたものと伝えられている)。ニワトリの話同様、きっと、いつも忘れないように自分を戒めてもいたのでしょう。
劣るとか悪いという意味ではありませんが、イエス様とこの地上では一緒に過ごしたことのなかったパウロとは、この点で緊迫感が違うように思います。ペテロ自身の死が近づくにつれて、イエス様のお声が生々しく響いている感じです。
福音宣教のために、はっきりと自分を捨ててかかっていたパウロの場合、テモテへの手紙などを読むと、むしろ「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい」の方に実感があったかも知れません。パウロは、誰よりも激しく「悪魔」と戦った人です。そして勝った人でした!
いずれにしろ、何に自分の人生をかけてよいのやら、何のために生きているのかが本当に分かりにくい時代(いつの時代にもそうなのですが、‥‥ )、人と比べ、目に見える尺度でしか計れない今、難しいことですが、じっくりと「目をさまして」考えて見なければなりません。
無名性の時代とは違って、自己主張、個性、プレゼンテーション、相手を蹴落とす‥‥ 、とにかくどんなことをしても成果を上げる、こんな時代に「身を慎」む者は馬鹿を見るのでしょう。黙っていたら損をする、何度も何度も聞きました。でも‥‥ 、いったいどんな損なのでしょうか。
マルコの福音書で、イエス様はこう教えてくださいました。
13:13 また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
13:37 わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。
「最後まで耐え忍ぶ‥‥ 」、寝るのが大好きで、誘惑に弱い私ですが、みことばに向けられた目だけは惑わされないように最後まで「目をさまして」いましょう。
今朝は、まだ降っていませんが、どうやら雨の一日になりそうです‥‥
祈ります。
Re: 目をさまして - 東江公人
2009/07/01 (Wed) 13:49:32
こちらは、午前中に婦人会、夜は祈祷会です。
ちょっと似てるかな?
婦人会ではヨブ記を祈祷会では使徒の働きを学んでいます。
こちらはどうやら午後から晴れてきました。
ただの(夢の話し) - 東江公人
2009/06/30 (Tue) 08:56:57
昨日夢を見ました。勿論、夢などいつも見るものなのでさほど
珍しいわけではありません。特別な夢だったわけでもないの
ですが…
でも僕にとってはこちらの静岡に来て静岡の風景や静岡の人
間が登場してくる夢でした。そう言う意味で僕個人にとって印
象的な夢でした。少しこちらに慣れてきたのかもしれません。
その夢は、教会の隣を流れるちぼ澤(血流川)の夢でした。
夢の中では全てのドロが取り除かれて澄んだ水が流れていまし
た。夢の中で誰かの声が聞こえて『最近川がきれいになった』
と言っていました。
実際の川は、汚いわけではありませんが、長年、上流から流れ
てくる土砂で所々に「陸?」が出来ています。そこに雑草が生
い茂っている状態なのです。
年に何回かは、草刈り機で草を除いています。
隣のお婆(ばあ)が、『この川の土を撤去して欲しい。国の川
(1級河川)なのに国は何もしない』と嘆いている話しを聞い
ていたのでそれが夢の中に出てきたのかもしれません。
夢の眠ってる意識の中で『教会は、この地域のドロ(罪)を
キレイに取り除く働きをするために召されているのでは』との
思いがかすめていました。
素晴らしい夢! - 寺田祐一牧師
2009/06/30 (Tue) 17:49:06
聖書には夢の話がたくさん出て来て(或いはまぼろし)、神様からの大事なメッセージが含まれていることはよく分かっています。ただ、勿論すべてがそうではなく、その吟味が難しいこともまたきちんと記されています。
そうした点では鈍くて、以前、よく夢を見て私に問いかけてきた自称霊的な方からはかなり激しく「霊的じゃない」とお叱りを受けました。幸い今は愛想を尽かして霊的?教会へ移って行かれたのでおられないのですが‥‥
ですから夢の話は一番苦手なのですが、そんな私でもすぐに分かる、素晴らしい夢ですね。
富士川に移られた東江さんに対する神様の驚くべき使命と期待が溢れるほど感じられます。
ぜひ、頑張ってください!
私も夢はよく見るのですが、別に解き明かすほどのものはなく、いつもこの吉川福音教会のこと、そして信徒さんのことだけです。それ以外はほとんど見ません。見ても、たぶん忘れてしまうのでしょう。本当に狭い狭い世界に生きているなーと、見る夢のことを考えただけでも分かります。
しかもその夢はほとんど99%、問題の中で苦しく夢、信徒さんにさんざん責められ、にっちもさっちも行かずに叱られているものばかりです。まさに現実をそのまま写しとったようなもので、いつも反省材料となっています。解決のないまま汗ぐっしょり、どきどきして目を覚ますのですが、まさしく「起きても胸の騒ぐなりけり」です。
一度大きくリバイバルしている夢、問題の中でもだえているものではない夢も見たいな!
Re: ただの(夢の話し) - 東江公人
2009/06/30 (Tue) 19:41:06
写真のきゅうり、立派なきゅうりですね。
最近、教会のメンバーの方からきゅうりなどのぬか漬けをいただきました。
塩加減といいぬかのつけ具合といい僕には絶妙としか思えませんでした。
やはり、きゅうりはぬか漬けに限るかなー
勿論、キムチも捨てがたい…
雨のリトルワールド - 寺田祐一牧師
2009/06/30 (Tue) 07:53:34
今年の梅雨はしぶとくて、これまた昨日の天気が嘘のように、今朝はまた(うっとうしい‥‥ 、と言っても恵みの雨ですが)雨が降っています。私の体調も、ちょうど天候に合わせて猫の目のように変わってしまいます。うーむ、今朝はあまりよくない‥‥
しかし、書いているうちにも小雨となり、涼しいさわやかな風が入って来ます。
今にも崖崩れでも起きそうな酷い状況にある日本の社会にも、この涼しい風が吹いてくれるとよいのですが‥‥
最近のニュースは、何がどうなっているのか、元々ニュース音痴(なるべく見るようにはしているのですが)、社会音痴の私には誰が何をしているのかさっぱり分からない(教会と牧師館の間を、5分ぐらいですが、往復する毎日です)、まるで狐につままれたようです。うちの教会からも転勤する人も出たり(大事な働き手なのに‥‥ )、不安は募るばかりですが、まあ、いつかはおさまるのでしょう。
昨日の暑さで背を伸ばしたかに見えるリトルワールドも、今日は一休みといったところでしょうか。
午後にはまた、お絵かき教室があるのですが、さて、今日は何を描くか‥‥
雨の風景は書いたことがなかったので、「雨のリトルワールド」を描いて見よう。
おやおや、また雨脚が速くなって来ました。
お出かけの方、外でのお仕事の方、こころから安全のために祈ります。
Re: 雨のリトルワールド - 東江公人
2009/06/30 (Tue) 15:50:33
リトルワールドいいですねー
名護の時は、リトル・エデンと銘打った小さな小さな庭を作りました。場所がなかったのです。それでも小さな池もあってグッピー達が生息していました。彼らは蚊を食べるのでいいのです。
こちらは、駐車場も広く芝生の庭もあり花壇も以前よりもたくさんあります。色々な実のなる木が植わっていて、びわ、リンゴ、柿、ブラックベリー、プラム、サクランボなどなど
こちらに来て小さな花壇を作ってゴーヤー、へちま、トマト、しそ、ネギなどを植えました。勿論、花もたくさん植わっています。僕は食べられる方に興味がある 花より団子かな…
ハッキリせよ(カルメル山の対決) - 東江公人
2009/06/29 (Mon) 11:21:55
列王記T18:16〜24
エリヤの霊的戦士としての訓練も終わり、いよいよ戦いの時がやってきました。神様は、主のしもべオバデヤを用い主の預言者エリヤと北イスラエルの王アハブとの接見が実現します。
アハブはエリヤに向かって叫びます。「イスラエルを患わすもの」
それに対してエリヤは反論します『あなたとあなたの王国こそイスラエルを患わしてる」
確かにエリヤの言葉でイスラエルに雨が降らなくなりました。表面的にはエリヤの言葉が問題を起こしたともいえましょう。
しかしそれは表面的な問題でした。その根底にはアハブが、イスラエルの神を捨て偶像礼拝を導入したことが問題の根底にあったのです。
私たちも何か問題が起こった時に表面的な理解だけで軽はずみに判断しないことが肝心です。物事の本質に目を向けることが求められています。
イスラエルは王を筆頭に迷走状態でした。彼は自分で良いと思われるありとあらゆることをやった人ではなかったでしょうか。
妻の強力な後押しでバアル信仰が良いと聞けばそれを何となく導入する。さりとで主に対する信仰も捨てないでもっている。ぐずぐずと決断しないで問題が起これば他人(エリヤのせいにする)
エリヤはここで何が正しいのか、そしてイスラエルの国と王はどちらの方向(ここでは主なる神様にたよるのか、それとも偶像礼拝を選ぶのか)をはっきりさせようと宣言したのがカルメル山での戦いでした。
私たちも迷っている時には前に進むことが出来ません。私たちの人生を省みる時をもちましょう。そして『この問題』『あの私の問題』に対して主にあってはっきりさせることが大切です。
ハッキリ! しよう‥‥ か - 寺田祐一牧師
2009/06/29 (Mon) 15:26:24
昨日の説教の要約でしょうか。
列王記、エリヤのところをなさっているのですね。
こんな素晴らしい説教に養われている東江さんの教会の皆さんは幸いですね!
私も行きたい!
私はクリスチャンにしていただいてから、私自身の生き方、問題に対してはほとんどはっきりさせて来ました(ほとんどと言うのは、私の中では100%という意味ですが)。ただ、人との関係、自分の力を越えることは(たとえば牧会)、はっきりさせては来ませんでした。
大変弱い牧師なのですが、弱い者がはっきりさせてしまうとそこで終わってしまうからで、事実、そんなことがたくさんありました。
まあ、生涯はっきりしない牧師で過ごすのでしょうが、不思議なことは、後で気がつくのですが、神様がはっきりなさってくださていました。
エリヤのようには出来ませんが、はっきりしてくださる神様には、自分自身に関する限り、はっきりお従い申し上げて行きましょう。
チャレンジ、ありがとうございます。
すいませんが - 寺田祐一牧師
2009/06/29 (Mon) 09:56:47
最近、天候のせいでしょうか、どこが悪いというわけでもないのですが、この梅雨の間中身体の調子があまりよくありません。とにかくだるくて疲れやすく、寝ても寝ても寝たりない感じなのです。実際そんなに寝ていることは出来ませんので、動くことは動くのですが、どうも倦怠感が抜けません。
たぶん梅雨が開けてからっとした夏になると解決するのだと思いますが、なんだか自分が怠け者になったようで‥‥
まあ、実際怠け者ではあるので、そう言われても仕方がないのですが、自分の中で怠けていることへの不安は拭いきれないのです。
戦後間もなく、激しい競争社会の中、「働け、働け!」の世界で育って来た者にとっては、怠けや休みは罪悪以外のなにものでのないのです。同じ思いでいる方も多いはずですが、それが突然「猛烈からビューティフルへ」、「のんびり行こうよ」などと言われても本当に困ってしまうのです。企業戦士、一流以外はみんな「産業予備軍」などとからかわれ(実際その通りなのですが)、使い捨て(捨て駒とさえ言われた)、ローマの剣闘士ののように、ただ行き残るために戦って来ただけなのですが‥‥
家庭をかえりみない、定年になって、「あなたとの何十年はなんだったの。私は家政婦じゃないのよ。何のいいこともなかった」なんて言われ、鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔で妻が家を出て行くのを見送る世代にとって、「休みは罪悪」は、もうこころに刷り込まれてしまっています。今さら休めって言われても何をすれば‥‥ 、これでいいのかとの思いは消えません。しかも最近は不況と年金問題などで、若者に負担をかけ、夢を奪うような存在、まるで厄介者のように扱われる、休もうにも休むところが‥‥
休み方も遊びも、酒を飲むぐらいしか知らない哀れな年代、サークルなどに参加して楽しむなど恥ずかしくて出来るか。従って家でごろごろ、「散歩でも行ったら)と、粗大ゴミ、無駄飯ぐらいなどと批難され、「俺だって休みたくて休んでるんじゃない‥‥ 。
行くところもないし、第一もう身体が若いときのようには動かない‥‥ 。どうしろと言うんだ」と、こころの中でぶつぶつ言っています。
なんとも情けないことですが、それを神様の働きに変えられた者は幸いでしょうか。
教会によって、牧師にも定年はありますが、神様の働きに終わりはありません。あるとすれば召される時ですが、この世にある限り必要とされている、なんと感謝なことでしょうか!
最近少ししゃっきりとしないでだらだらしていますが、パウロのように、福音のために牢獄にでも入ったつもりで休むことにしましょう。そういえばパウロは、世界旅行を何度もするほど活動的な人でしたが(勿論福音宣教のためで、当時のローマ世界ですが)、その合間手紙もたくさん書いています。しかし、その多くは牢獄にいる時でした。従って獄中書簡などとも呼ばれますが、パウロもまた休むことが出来ない人だったのでしょう。
ですから神様はパウロを牢獄へ入れたのかも知れません。そうでもしなければパウロの足を止めることは出来なかったろうし、手紙を残すこともなかったのかも知れませんね。
疲れて休むのにも理由が必要とは‥‥ 、ま、いいか。
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
でもやっぱりイエス様の「くびきと荷」は負うのですね!
すいませんが、私のためにも祈ってください!
と、エペソ人への手紙の最後で、パウロもこう言っていますので。
つばめ - 東江公人
2009/06/28 (Sun) 14:12:45
教会の玄関の軒につばめが、巣を作っていました。雛がうるさく餌を欲しがって鳴くと親鳥たちが甲斐しく餌を運んでいる姿が見うけられました。
私には雛は3羽だったと見えましたが、彼らがたちまち大きくなり巣立ってゆきました。
そこで一句。
ツバメの子 鳴き声高く 母を待つ
お粗末でした。
聖書のみことばにこういうものがあります。
『私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました。』
詩篇 84篇2節ー3節
実は、つばめの巣立った後に雀達がやってきて巣作りを始めようとしていたのです。まあこれにはちょっと困ったものだと思い、古いつばめの巣を撤去しました。するとどこからともなくつばめが飛んできて巣があった場所のあたりを旋回し始めました。
「自分達の家をどうしてくれる!!」と言う抗議だったのでしょうか?
私たちの霊的住みかは三位一体の神様自身です。その主の霊的住まいの中で私たちもつばめたちのようにすくすくと成長したいものです。
つばめたちのように霊的なみことばの糧を毎日食べることはもちろんのことですが…。
お見事! - 寺田祐一牧師
2009/06/29 (Mon) 07:31:42
東江さんの鋭い観察眼とやさしいまなざしの感じられる書き込みです。歌もお上手で、感心しました。真似の出来ないところです。
「雀の子 そこのけツバメの 猛抗議 」かな‥‥
お粗末さまでした。
うーん、聖書のみことばまでは思いつきませんでした‥‥
土曜子ども会 - 東江公人
2009/06/27 (Sat) 19:17:30
名護では僕一人の寂しい子ども会でした。こども達は3人から8人ぐらい集まっていました。
静岡では幼稚科が5名ぐらいでしたが、小学生は、一人も来ませんでした。教師数名がこどもたちを待ちわびてる状態でした。名護のことを考えるともったいないなーと思っていました。
チラシを蒔いたりこども達に声をかける行動をしましたがさっぱりでした。
しかし、教会の隣に川が流れていてそこで釣りをするこども達がやってきたりして教会に関心を持つ子も出てくるようになりました。
教育部担当の役員は、毎日早天でそのことのために祈っていました。
3ヶ月後の今日、8名のこども達がやって来て賑やかな子ども会になりました。
今後どうなるのかは一向に分かりませんが、主は祈りに豊かに答えてくださったと喜んでいます。
夏日? - 寺田祐一牧師
2009/06/27 (Sat) 09:28:14
今もう暑いのですが、今日は今朝から夏日となっています。
日中、温度は相当上がりそうです(たぶん、30度は越すでしょう)。
まだ梅雨が終わった訳でなさそうなので、いずれまた雨は降るのでしょうが、終わりが近いこと、夏であることは十分感じることが出来ます。
私たちの教会では毎年、夏休み特別早天礼拝をやっているのですが(今年はないかな‥‥ )、今朝のお天気に、そんなことを懐かしく感じました。教会に集まって祈る、忙しい現代、信徒さんたちには一番難しいことらしいのですが、なんだか寂しい気がします。世の中こんなに忙しいのに、教会まで忙しくしてどうするのか‥‥ 、いつも無言の圧力を感じています。
しかし、やはりクリスチャンはイエス様が第一、そのみからだである教会が第一であることは聖書の絶対基準です。また、異端と呼ばれる新興宗教は別として(エホバの証人とか‥‥ )、教会が聖徒たちの実生活を破壊するようなプログラムは持っていませんし、強制されることもありません。その気になれば週に3,4回ぐらい教会に集まることはそんなに大変ではありません。集まればよいのですから。
でも、難しいのでしょうね‥‥
いやいや、こんな小言を言いたくて書いているのではありません。
朝のさわやかな恵みを分かち合えれば、祈りに応えてくださるイエス様のお力を感じていただければと、ただ老婆心ながら、今朝、あまりにも気持ちがよくて思っただけでした。
さて、庭のリトルワールドは、今日、伸びるだろうな−!
今日はまた、午後2時から、7月20日(土)海の日「チャペル・コンサート」のチラシを印刷します。一応5000枚の予定ですが、プリンターの両面印刷で行いますので、結構時間と手間がかかります。紙が詰まったり巻き込んだりするのですが(天気が悪いと用紙が湿っていて余計そうなのですが、今日の天気なら大丈夫でしょうか)、これを解消するには100万以下の機械では駄目で、数百万円ぐらいの印刷にしなければなりません。
たぶん今日も、いつも一緒にやってくださるW姉が来てくれるでしょう。
カレー作りはその後になるでしょうか(いつも明日のお昼を今日中に作っておく)。
うちのカレーは作りたてが一番美味しく、いつも一番にいただいています。牧師の特権です。
それにしても今日は暑くなりそうです。
心地よい一日 - 寺田祐一牧師
2009/06/26 (Fri) 13:44:09
今日はまた、朝から珍しくさわやかな一日となっています。適度な曇りと涼しい風は、日頃のうっとうしさを振り払ってくれるようです。
先ほど、いつものように昼休みを利用して庭のリトルワールドを面倒見てくださる方が、水をやり、虫をとって戻っていきました。「また虫がついてる‥‥ 」などとぶつぶつ言いながら‥‥
感謝ですね!
そんな人が来るとリトルワールドの野菜たちも何だか喜んでいるようです。
少し寒かったり長雨で生長が遅れていたキュウリもナスも、そしてトマトも、今日の天候で一気に芽を吹き返してニョキニョキと伸びています。
じっと見ているとそれが分かりますよ!
本当です!
さて、少しお昼寝をしてまた午後から頑張りましょう。でも、夜にはFriday Nightも有りますのであまり無理にならないように。
それにしてもリトルワールドは元気だ!
世界天文年 - がらてや
2009/06/25 (Thu) 22:01:15
ガリレオが天文観察を行い400年が経ったということで
今年は世界天文年らしい。
7月22日は皆既日食が見られるそうです。
日本では部分日食のところが多いようですが。
46年ぶりだとか。
注意:太陽を直接見るのはやめましょう。
ガリレオ‥‥ - 寺田祐一牧師
2009/06/26 (Fri) 08:00:56
ガリレオ‥‥
広大な宇宙へ誘う、夢とロマンに満ちた名前です!
アメリカの航空宇宙局は、木星、及びその衛星探査機の名前を「ガリレオ」としました。
ガリレオは、よほど星が好きだったらしく、何とかその様子をもっと詳しく見たいと、何と自分で天体望遠鏡を発明してしまいました!
今年、「かぐや」から送られて来た月の写真や、ハッブル宇宙天文台の望遠鏡でとらえた深宇宙の写真などを見たらどう思ったでしょうか。星の生成消滅‥‥
そうですか。今年はガリレオ天文観察400年、世界天文年ですか。そして皆既日食、子どものころ、ガラスに煤をくっつけて見ました。楽しみですね!
がらてあさん、ありがとうございます。
7月22日の水曜日、晴れるといいですね!
そう、注意がなければ、直接太陽を見るところでした。
スロー ‥‥ ? - 寺田祐一牧師
2009/06/25 (Thu) 09:15:12
流行言葉、気の効いた標語には人一倍敏感で嫌いな私は、ほとんど自分で使用することはありません。説教も、ワンポイントとか、スリーポイントとか、何度もやっては見るのですが、うまくいった試しがありません。それで、ついだらだらとまとまりのない長い話になってしまいます。何度も注意され、嫌がられたり、「駄目だ、そんなんじゃ誰も聴かないよ」と、叱られたりもします。
以前、あなたにはコンセプチュアル・スキルがないからだと言われたことがありました。以来、スキルという言葉自体も好きではなくなりましたが、状況を正しく(深く)判断し、短い簡潔な言葉で表す。説得力のある効果的なリーダーシップをとる、イエス様のお話しや行動は、短い言葉で真理を突く、まさしくコンセプチュアル・スキルの名人だ、牧師ならもっとよく学びなさいよというものでした。いやはや、返す言葉もありません‥‥
まあ、私自身の能力不足が最大の原因ですから仕方がないのですが、その方は社会でどんどんご活躍なさっていると思います。
今、私が使ったり知っている流行語は「ナウい」でしょうか。「末は博士か大臣か」なども思い浮かびます‥‥
最近「スローフード」、「スローライフ」といった言葉を時々耳にします。最初、こんな忙しい時代にコンセプチュアル・スキルもなく、食べるのも遅い、のろまな私のことかと思ったのですが、どうもそうではないらしい‥‥
カタカナ語と流行語の苦手な私には、最初から調べる気もないのですが、どうやら昔ながらの食物(自然食品?)、そして自然に親しむ生き方(自然の時間に合わせる)、などを意味しているのでしょうか。なるほど、スピード化もスキルアップ?もしていない私には(つまり努力をしていない)、何となくありがたい言葉ですが(何となくです)、果たしてそうなのか‥‥
ご存じの方はぜひ「スローフード」、「スローライフ」といった言葉について教えていただけるとうれしいのですが。
私自身、もともと物事を効率的、或いは功利的に考えて行動出来るタイプではないので、無駄の多い、実に非効率な生き方をしています。まさにスローライフなのかも知れません。
しかし、そんな私も現実の世界で食べたり飲んだり、お金を稼いで生きて行かなければなりません。それに対して「スローフード」、「スローライフ」と言われてもなーと、なんだかお金持ちの趣味のようにしか感じられないし、きっと負け惜しみなのでしょう。
テレビなどで活躍し、忙しい方が、やっと時間が取れたと、「ナウい」ダウンジャケットなどを着て湖に浮かぶボートに乗りながら、アラスカの大自然の中「スロー‥‥ 」な時間を過ごせましたなどと言うと、本当に恰好いいですよね(釣った魚などをかかげていると尚更!)!
実はそこに別荘があるんですなどと聴くと、もう別世界、うらやましいどころの話ではありません。
ただ、「スローフード」、「スローライフ」などと聴くと、何だか自分もその中に入っているような錯覚に陥ってしまうのが面白いところです。自分には関係ないのに‥‥
おそらく絶対に行けない、そんなところで住むことはかなわない世界を見て(イタリアの田舎で野菜と暮らす‥‥ )、「スローフード」、「スローライフ」いいなー、とバーチャルな中で(おっと、これも‥‥ )、イメージさせる力が流行言葉にはあるのでしょう。
現実には汚染だらけの野菜や肉、魚を食べている一般庶民なのですが‥‥
プロバガンダ、昔、この力に気づいたヒトラーは、天才ゲッベルスを登用し大きな成果を上げました。国が滅びるまでのことですが‥‥
簡潔で短い言葉は、人に明確なイメージを与え、考えを単純化させます。もっと言えば批判精神を失わせる力も持っています。コンセプチュアル・スキルなど、リーダーに必要な力であり、ぜひ身につけるべきものなのでしょう。スキルアップ‥‥
しかし、私にそんな能力がないことに、今は本当に感謝しています。真理は確かに簡単な言葉で言い表せるのですが、それにたどり着く過程が簡単で単純だと言うことではありません。「国益」など、途中を跳ばした言葉ほど注意を要するものはありません(本当に危ない‥‥ )。だから聖書はあんなにたくさんのことを書いているのです。
言いたいことはたったひとつ「イエスは主」だけなのですが‥‥
人(自分)から出るもの - 寺田祐一牧師
2009/06/24 (Wed) 08:40:01
今朝は、夕べからの雨が降り続いていて、少しうっとうしい一日となりそうです。勿論恵みの雨ですが‥‥
そんな中、自転車に乗って来てくださる方には励まされます。地方教会は長い時間がかかるので、こうした毎日の祈りに加わっていただくのは本当に大切でうれしいことです。 今日の箇所はマルコの福音書七章ですが、なかなか難しくて厳しいところです。
一口に言えば「主は外側ではなく、心の内側を見られる」でしょうか。
その集団や地域のしきたり、習慣は大事なもので、あえて破って問題を起こす必要はないでしょうが(時には敢然たる姿勢も必要‥‥ )、従わない、守らない人々を裁く、責めることは(現在では「いじめ」、「仲間外れ」のように名前は変わっていますが、日本ではさしずめ村八分と言ったところでしょうか)、時に人を苦しめるものです。
「何をしてもいいが、人様に迷惑だけはかけるな」と、子どものころから不文律として教え込まれている日本では、守る守らないは別として、ほとんど普遍的な真理と(人間なら誰にでも当てはまると‥‥ )、これを疑う人はいないようです(泥棒の親でさえそう教えるという冗談さえあります)。他人に違いや痛みを認められない単一民族のよいところであり、また、恐ろしいところでもあります。人は本来歴史も背景も価値観も違うものであり、一律に「人様に迷惑」という基準を当てはめてしまうと、非常につらい立場に追い込まれてしまう人もいるのです。
聖書的に言うならば「在留異国人、寡婦、孤児」など、人に迷惑をかけなければ行けていけない人たちです。
特に障害者の方々は、この「人様に迷惑」という考え方によって、つい最近まで、長い長い歴史の中で片隅に追いやられて来ました。人に迷惑をかけなければ生きて行けないからです。この原理を働かせて不況を乗り越えようとしたのが「高齢者医療」、「自立支援法」、「優遇税制」などの、まさしく骨太の改革、弱者切り捨て政策でしょうか。利益も生まず、迷惑ばかりな存在は黙って引っ込んでいろ。そのうちにおこぼれもあるさ、と言ったところです。「最大多数の最大幸福」、見事な実用主義は、「人様に迷惑をかけるな」という美しい言葉で、ずっと日本文化の中心を流れていたものだったのですね。
そういえば「美しい日本」という言葉をスローガンにしていた立派な日本人政治家がいましたが、そう言う意味だったのですね。たぶん日本は、祖先崇拝の国でも、仏の慈悲の国でもなく、あくまでも、自分の利益を中心とした八百万の神々の国だったようです。
守護霊、守り本尊、名前も知らないご先祖様が(自分の家を護る)、日本人はよほど好きらしく、未だにテレビでも大人気です(変な霊媒師や占い師が大人気です)。神棚や仏壇は勿論のこと、家に神社やほこらまで持っている家が以外に多いのに驚かされます。
地域神を祀る神社は(自分のテリトリーの利益を護る)、今も偉大な支配力を持っていて、私が所属する地域では、その神社のために、毎年神社活動費が項目としてあり、御輿の修理、新しいものを作るためには、何十万という補助金を出しています。そのために私はその町内会を脱退する羽目にまで追い込まれてしまいました(ま、さっぱりしていいのですが)。まさしく「正体見たり、人の欲」といったところなのですが、みんな百も承知でやっているところがさらに恐ろしい‥‥
昔のように、地域ごとに固まって守らなければならなかった時代ならいざ知らず、現代のような複雑な時代になっては、その形骸だけが残っている、それだけに風俗習慣化してしまって、理屈が通じなくなっているところがさらに恐ろしいところです。
第一、他人の存在自体が自分に迷惑で、自分自身が他人にとって迷惑でない存在などあり得ません。人に迷惑をかけずに生きられる人などどこにもいないのです。人に迷惑ではなく、自分にとって利益かどうかという(世俗的な意味で)、実に殺伐とした価値観以外ではないのです。
少なくとも聖書では、「人は互いに迷惑をかけ合って生きている、だから互いに赦し合い、愛し合って生きないさい」というのが基本です。狭く、様々な利益が複雑にからんでいた中東で、人が平和に暮らして行くためには、実に不可欠な実用的な価値観です。
人(私)から出るもの - 寺田祐一牧師
2009/06/24 (Wed) 08:40:54
世界がひとつの火薬庫となってしまったような現代、さらに現実味を帯びた価値観というほかはありません。そしてこれは、「最大多数の最大幸福」ではなく、今日の聖書箇所にあった、イエス様の次の教えによらなければ不可能なことです。
7:15 外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」
7:17 イエスが群衆を離れて、家にはいられると、弟子たちは、このたとえについて尋ねた。
7:18 イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。
7:19 そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。
7:20 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。
7:21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、
7:22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、
7:23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
まさにその通りなのですが、この「人」とあるところを「自分」、或いは「祐一」と自分の「名前を当てはめて読むところが肝要なようです。
決して他人に当てはめていけませんよ。
沖縄戦 - 寺田祐一牧師
2009/06/23 (Tue) 08:17:27
沖縄について、或いは沖縄戦に関して、私も含め、ほとんどすべての日本人は詳しくしりません。敗戦50年を期に、確かNHKなどを中心に特集が組まれ、アメリカ軍放出の映像などを含めたテレビの特別番組で見た記憶があります。大変恥ずかしいことですが、一般庶民に過ぎない者にとっては、お隣韓国同様、それ以上の理解や知識はありません。教えて来られもしなかったし、率直に言って関心もなかったからです。
しかし、そうした特集番組をちらっと見た程度でも、その酷さとむごたらしさ、そして日本軍、いや、日本人の対応の仕方には驚くと同時に、大きなこころの痛みと怒りを感じます。そんなことをしていたのかと‥‥
韓国や中国、或いはフィリピンなどの東南アジアで日本人は何をしてきたのか。そして沖縄では‥‥
調べれば調べるほど、知れば知るほど暗澹たる思いにかられますし、目をそむけたくなるし、出来れば触れたくない、嫌だ‥‥ 、正直な気持ちです。
しかし、知ってしまった以上知らんぷりは出来ません。きちんと検証して残し、引き継がせなければなりません。小泉前首相の靖国参拝問題から(こころもないのによく出来るなーと思いますが‥‥ )、一時中国韓国との関係が悪化し、大きくクローズアップされた対アジア外交、及び国内の靖国問題、キチンとした結論も出さないまま曖昧にされています。日本人の得意手法ですが、街頭取材などの若者たちの答えには、少なからず驚かされます。中国や韓国などに、日本人の問題なのに口出しして欲しくない、内政干渉だ、なんの権限があって「止めろ!」と言うのか。日本人はバカにされてるんじゃないか、あまりうるさく言うなら「戦争」も仕方がない。とやかく言われるのは日本に軍隊がないせいだ、ほかはみんな持っている、日本も正式な軍隊をもって対応すべきだと、愚かな政治家や評論家の受け売りのようなことを言ってます。本当に恐ろしいことです。従って若者たちの間で、むしろ憲法九条廃止の考え方が強いようです。
これは、臭い物には蓋をしてしまった大人の責任で、知らないとは言え、若者たちは可愛そうです。「お国のためにしっかりと戦って死んでこい」と、青年たちを戦場に送り出した大人たち、その後何を学び、何を残して来たのでしょうか‥‥
最近本屋さんに行ったのですが(本屋がどんどんなくなっているので近くにありません)、驚いたことに、入り口近くにあの田母神さんの本がいっぱい置いてありました。ちょっとぎょっとしたのですが、それこそが今の日本人の思いを表しているのでしょうか。
日本人は悪いことしていない、アジアでは返っていいことをしたんだ。そう言う人たちもアジアにはたくさんいる。第一、欧米の先進国はみんなやって来たことではないか、日本人はそれに比べると本当にいいことをしてきたんだと。
だからどうだと言うのでしょう。みんながやっている?
「赤信号、みんなで渡れば恐くない」か‥‥
これが日本の防衛トップにいた人の考え、言葉かと、ちょっと驚きに耐えません。
なるほど、こうしたトップの体質はまったく変わっていないのでしょうから、頼まれもしないのに現地調達で他国へ土足で入り、お前たちのために来た、感謝しろと臆面もなく言ったのでしょうし、見返りも要求した。その権益を守るためにそこで戦争までしたのです。それがよかったと‥‥
中国、韓国の皆さんはいざ知らず、沖縄の方々はこれをどう聴くのでしょうか。
少なくとも日本人の沖縄政策、沖縄戦の実情を少しでも知るなら、日本人でありながら日本人に対する怒りがわいてきても、なるほどそうだったんだ、じゃあの時崖から飛び降りたお父さんお母さん、アメリカ軍に捕まる前に自分の手で殺した妹はあれでよかったんだと、考えられる人はいるのでしょうか。そうだったら立派ですが、きっとそんな考えを持っていたのが田母神さんのような指導者だったのでしょう。
少なくと沖縄を日本人とは考えていなかったはずです。外地だったのです。
昨夜、川崎の子母口キリスト教会で行われた朱基徹委員会は小さな集まりに過ぎませんが、少しでもそうした資料を集め、今生きておられる方の証言を記録しておこうとするものです。地道な働きで、効率や利益を追求する時代には本当に無用なものですが、未来には必ず必要とされる重要な働きと考えています。
さて、今日は東江さんの書き込みに触発されて書きましたが、なんとなくきな臭い今、面白くはありませんがタイムリーであることは確かでしょう(この問題はいつでも重要ですが‥‥ )。
今日の午後はまた絵を描きます。
一度むしり取られた「てっせん」が生き返って実に清楚な花を咲かせています。
それを描くことにしましょうか。
慰霊の日 - 東江公人
2009/06/22 (Mon) 10:35:12
6月23日は、私にとっては忘れることが出来ない日の一つとなっている。沖縄では『慰霊の日』と呼ばれ公休日となっている。この日は、沖縄戦終結の記念の日で沖縄各地で先の戦いで死んだ人々を覚えて不戦の誓いをする日となっている。
沖縄戦は、最も悲惨の戦いの一つだ。
アメリカ軍は沖縄を攻撃する際洋上から艦砲射撃を行った。それは徹底したもので
「鉄の暴風」と形容された砲弾の嵐だった。その結果県民の4人に1人が犠牲になった。
住民はガマと呼ばれる自然洞窟へ逃げ込み命をつないでいたが、しばしば、敗走してきた日本軍に追い出され、砲弾の下をさまよった。日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告していた。実際に、米軍に連れ去られて帰された少年と農民が日本兵に殺されるなど、スパイとみなされる住民が相次いだ。沖縄県民にとって友軍である日本兵も怖い存在となった。
軍隊は戦うための組織で住民を守るたものものでないことを県民は嫌と言うほど味わうこととなった。
そんな中で、米軍が上陸した慶良間列島などでは、追いつめられて肉親同士が殺し合う「集団死」が起きた。慶良間(けらま)列島だけで犠牲者は700人にのぼる。『鬼畜米英』によって耳や鼻をそぎおとされ、女の人は辱めを受けると信じ込まされていた。それよりは、自らの手で愛する者の命を絶つことがせめてもの慰めという心理状況に追いやられた。
沖縄戦はいわゆる『捨て石作戦』と呼ばれ、本土決戦をするための時間稼ぎの為に沖縄が犠牲になり見捨てられた。そして多くの民間人も戦いの中に巻き込まれいのちを落としてしまった悲惨の戦いだ。
その犠牲の上に今の本土(日本)の繁栄があると言うことも出来る。
今年もまた慰霊の日23日が来る。その日はどのように過ごそうか…
手抜き? - 寺田祐一牧師
2009/06/22 (Mon) 09:41:33
具合が悪いと言うわけではありませんが、色々なことがあって、今朝は大幅に遅刻してしまいました。私が早天礼拝に着いた時にもう、皆さんお帰りになった後で、どなたもいらっしゃいませんでした。申し訳ないことをしましたが、講壇の後ろに座り(いつも講壇の立つ部分に座布団を敷き、座って祈っています)、一人で聖書を読み(今朝はマルコの福音書五章)、祈って来ました。
マルコの福音書五章は、ゲラサの狂人の話から始まって、次々に様々なことがイエス様の回りに起こり、それらをまた次々にご解決なさっていくイエス様のめざましいお働きが、これまた次々に小気味よくまとめられていました。マルコの福音書の特徴でもあるのですが、余計なことを一切省いたような簡潔な表現がまた、一層イエス様の生き生きとしたお働きを描き出しています。
この中には、会堂管理者ヤイロの娘をお癒しにいらっしゃる途中、いわば一刻を争う忙しいところへ突然飛び出してきた「12年もの長血の女性」のエピソードも差し込まれています。勿論ついでではなく、3年に及んだイエス様のお働きが、いかに予測も出来ないことがらが次々に襲いかかる、緊張に満ちたもの出会ったかが分かります。
しかし、大事なことですが、これらのひとつひとつが、その人々にとっては一生にかかわる大事なことですから、イエス様もまた、一瞬たりとも手を抜いたりなさることはありませんでした。
これは当然のように思われますが、そう簡単ではないことを、それなりにプロ意識をもってお仕事をなさっている方はよくお分かりになると思います。
私がまだ建築の仕事をしている時、20代の後半であったと思いますが(仕事も慣れて生意気になるちょうどよい頃です)、仕事が非常に立て込んだことがありました。その中にあまり大きくない住宅の設計もあったのです(つまり、あまりお金にならない)。手を抜いた訳ではないのですが、まあ、手慣れた通り一遍の仕事で片をつけようとしていました。しかしその仕事の最中、打ち合わせの中で、手際よくそさくさと片付けようとしている私に、その住宅のクライアントにこう言われたことがありました。
「あなたにとっては、こんな小さな仕事、たくさんあるお仕事の中のひとつかも知れませんが、私たちにとっては(たいがいご夫婦の場合が多い)一生の一度のことですから色々な希望や夢があるんです。面倒臭いかも知れませんが、もう少し付き合ってくださいませんか」と。
とにかく早く済ませようと進めて行く(いい加減というのとは少し違うのですが‥‥ )、私のビジネスライクな仕事ぶりによほどこころを痛めておられたのでしょう、そう言われたことがあったのです。勿論そんなつもりではなかったのですが、いつの間にか落ち込んで生意気になっていたな私にとって、本当に大きなショックでした。有能な人ほど陥りやすい落とし穴かも知れません。いや、私のように、自分を有能だと思い込んでしまったと言ってもいいでしょう。
5:34 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」
5:35 イエスが、まだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人がやって来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」
会堂管理者の家に行こうとしている途中、突然起こったことでしたが、イエス様のとっては関係がなかったようです。すでに「12年もの長血の女性」も癒されたと言うのに、その場に立ち止まり、「イエスが、まだ話しておられるとき」と、何を話しておられたのか分かりませんが、そこでぐずぐずしておられるのです。その間に、本来の目的であった会堂管理者の「お嬢さん」は亡くなってしまいました。
しかしイエス様にとって「12年もの長血の女性」は、まったく変わりなく大事な人でした。まだ、どうしても話しておく必要があったのでしょう。少なくともイエス様は、この女性に対し、忙しいからといって手抜きをなさることはなかったのです。そして勿論「お嬢さん」に対してでもです。死んだはずの娘は生き返ったのですから!
故郷のナザレではまったくみ業を現すことが出来なかったというおまけ付きですが、私に価値があるかどうかなど関係なく、等しく手抜きなどなさらずに愛してくださっていることに、今朝もう一度深く感謝しました。
最近、イエス様は私のことを見ていてはくださらないのでないかと、少し落ち込んでいたからです。どうやら、大した仕事ではないと判断するとつい手を抜いてしまう私とはだいぶ違うようです。私が手を抜いた仕事は、結局大したことのない自分にしたのでしょう。
手を抜かれても仕方がないほど私もまた「罪人のかしら」だからです。
手作りカレー! - 寺田祐一牧師
2009/06/22 (Mon) 09:42:33
さて今日は夕方4時から、川崎、子母口キリスト教会で朱基徹委員会があります。
一部はいつもの通り岩崎先生の講義で「ユダヤ人問題・近代以降」です。特にアメリカにおけるユダヤ人たちの位置についてお話しくださる予定です。二部は私の「教会建築・近現代W」で、いよいよ近現代の具体的な教会建築、特に有名建築家による教会堂について話す予定です(今日はたぶんコルヴィジェについてです)。
そして勿論その間には楽しい食事が待っています。たぶん手作りカレーだと思いますが、子母口キリスト教会のカレーは本当に美味しいですよ!
手抜きがありません!
罪人のかしら - 寺田祐一牧師
2009/06/20 (Sat) 14:07:00
朝方の寒さが嘘のように、日中はいよいよ夏の到来を告げるさわやかな風と日差しとなっています。まだ梅雨明け宣言がなされていませんので、どうやら明日の日曜日は、天気予報によると雨のようです。しかし、降るときには十分に降っていただかないと困りますので、礼拝参加には少し不便かも知れませんが、ま、それもよいでしょう。
朝晩の冷え込みのせいでしょうか、庭のリトルワールドの野菜たちもどこか生育が遅いようです。しかし、これもまたいずれ実を結ぶはずですから、ただそれまで待てばよいだけです。なのに一喜一憂してしまうところに愚かさもあるのですが、そこにまた面白さもあるのでしょう。
いつも一生懸命虫をとったり水をやって育ててくださるU兄は、かかわる者の特徴でしょうが、早く早くの思いで、私から見ると3,4日は早めにキュウリやナスを収穫してしまいます。毎日見ているともう待ちきれないのでしょうね!
今日はもう土曜日、教団の研修会などがあったので、明日の準備(礼拝)にどうしてもしわ寄せが来てしまい、普段なら金曜日中に終わっている準備に、きっと、参加した先生たちはみんなご苦労なさっているでしょう。
いつもぎりぎりになる私などはもう、どうするかと焦っているところです。
しかし、そんな場合、研修中にいただいた恵みや気づかされたこと、礼拝で語られた説教の内容などが参考となって案外早くまとまるものですが、今回もたくさんあったにもかかわらず、なかなかうまく適用出来ず、苦労しているところです。研修会での内容は、いずれまた反映させて行くことにしましょう。
明日は、一応テモテへの手紙第一1章12節から17節までのところから、「罪人のかしら」と題してお話しするところまでは決めて、プログラムだけは作りましたが、さてさて内容はこれからというところで、今、ストレスが溜まっているところです。
う、祈りが足りないと?
そう、その通りで、研修会の最後のメッセージもそうでした!
祈りつつ賛美しつつ準備して行きましょうか。
ええ、でも、どうしてこの箇所となり、このテーマとなったのでしょうか。
それは、帰りに一緒だった先生が、今神学校で「霊性神学(スピリチャリティー)」という科目を教えておられ、この世的に言えば倫理・道徳的な生き方について、クリスチャンにとっては霊性、霊的な問題としてとらえ、神様の前にあるきよさを聖書の中から教えているという話からでした。
酒を飲んではいけない、たばこを吸うのは罪だ、姦淫は身を滅ぼすなど、人間としてもクリスチャンとしても当たり前のようなことを言うのですが、これを強調、或いは強制的に強いて来たところに反キリスト教ののろしが上がったのが啓蒙主義でした。
もう教会の言いなりにはならないぞ、人間はもっと自由なはずだ。生きるか死ぬかだって教会に決められる筋合いはない、自分で決める自由を人は持っているはずだ。古い教会的道徳からの解放を主張したのです。
それが現代にもつながっているのですが、そのため、教会がそうした道徳や倫理を強調すると、それを聴く方々が「ああ、それじゃ私には無理だ。こんな罪人は教会へは行けない」と、まるで門前払いされたかのように、むしろ自分からこころを閉ざし、離れてしまうのです。今まさに一人でも多くの人に来て欲しい日本の教会にとっては、それを主張したくても出来ないところにジレンマがありました。主張すれば門を狭くしてしまうし、しなければ教育や訓練は難しい(個人の自由に委ねざるを得ない‥‥ )。
きよい生活について、しかし聖書には明確に書かれています。特にパウロの手紙にはそのことが多く触れられており、教えられています。そうである以上、やはり語るべきことは語らなければならない‥‥
そんなことを車の中で話している内に、それも大事だなと思い、準備して見ることにしました。ポイントは決して上から目線にならないように、押しつけや厳しさにならないようにすることですが、自分をはっきりと「罪人のかしら」と認めながら話すパウロの姿から始めて見ようと考えたからです。
罪人のかしらはむしろ私で、まだまだその自覚の足りない私ではあまり説得力を持ちませんが、パウロの意図を思い計りながら準備しているところです。
どうですか、その出来について、明日確かめに来てみませんか。
朝十時からですよ。